「父と母の介護から学ぶ」認知症介護体験談
レビー小体型認知症なのか…
しっかりしていた父が、2010 年に胃潰瘍で2週間の入院。退院後、どんどん体が動かなくなりました。パーキンソン病の服薬がきちんとできていなかったことがわかり、私が薬を飲ませると3日で以前のように体が動くようになりました。ですが、数週間すると、人がいるとか、子犬がいるとか言うようになりました。
日に日にその訴えが酷くなり、外に戦車があってバズーカ砲を撃ってくるなどと言うようになりました。主治医に相談すると、薬の副作用とのことで一部変更しましたが、数日すると幻覚が現れ、その度に相談して処方を変えてもらいました。しかし、幻覚は治まりませんでした。ゲートボールのクラブを振り回し、大声を張り上げ、私はその度に起こされ眠れない日々が続きました。この頃から本やインターネットで勉強し、父はレビー小体型認知症と確信しました。主治医に何度説明しても「副作用です」とか「脳を開けてみないとレビーかどうかはわからない」など、納得のいく説明はありませんでした。
母について
7人兄弟の末っ子の母は天真爛漫で、明子という名前の通り明るい性格でした。70歳で保育園の仕事を辞めた頃から、うつ症状のように寝込んでしまうことが多くなりました。回覧板すら回しに行けなくなった頃、やっと病院に行き、多発性脳梗塞による認知症と診断されました。79歳でした。
父の症状が悪くなると介護に手がかかり、私は仕事を休むようになりました。これ以上職場に迷惑をかけられないと自分から仕事を辞めました。本当に悔しくて辛かったです。なぜ親のために自分の人生を投げ打って辞めなければならないのかと、テレビを見ていてもご飯を食べていても涙が止まりませんでした。
たどり着いた4人目の医者
どうしたらよいか悩んでいた頃、A先生に診ていただくことができました。やっと認知症を熟知した専門家に診てもらい症状も安定しました。もの忘れ外来を掲げていても、認知症にはいくつも種類があり、その認知症に熟知した医師に診てもらうことが難しく、特にレビー小体型認知症を診断できる医師は少ないと感じています。
「家族の会」の存在
仕事を辞め介護に行き詰まっていた頃、市報で「家族の会」のことを知り、藁をも掴む気持ちで参加しました。「家族の会」で気軽に相談できることで、これでいいんだ、と納得できるようになりました。気持ちを変えられた私は、父の老健入所を機に介護職員初任者研修を受け、無事合格しました。また社会復帰したいと思っています。
最近、父は体調が悪くなり入院しています。母も年明けから3ヵ月入院、幻覚が見えてきて、レビー小体型認知症を発症しました。まだまだ私の介護は続きます。ですが「家族の会」という大きな心の支えがあるので、どんと構えられるようになりました。若輩者の私が、これからの生き方を考えることができたのも、介護のおかげです。
「ぽ~れぽ~れ」通巻412号(2014年11月25日発行)