この記事は、2025年12月11日に開催された講演会『スローショッピングが実現するウェルビーイングと、みんなにやさしい市場活性化』(主催:スローショッピング・ジャパン事務局)の内容をテキスト化したものです。登壇者は、堀田聰子先生(慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授)、高橋光進さん(株式会社日本総合研究所)、田中美帆さん(スローショッピング・ジャパン事務局代表)の3名。今回は、日本総合研究所のリサーチ・コンサルティング部門シニアマネジャー高橋光進さんの講演内容を紹介します。
認知症1,200万人時代の到来。認知症が「当たり前」になる時代
高橋光進:こんにちは、高橋と申します。私は「日本総合研究所」というシンクタンクに所属し、日頃から認知症に関する調査研究事業をおこなっています。
認知症がごく当たり前の時代において、認知症の人やその家族などが住み慣れた地域で、希望を持って自分らしく暮らし続けることができるように、認知症の人の日々の暮らしを支える製品・サービスが生み出されることへの期待が高まっています。しかし、こうした製品・サービスの社会的な意義や可能性が、それらの開発を担う企業に十分に認識されているとは言い難いのが現状です。こうした状況を生む要因の一つとして、認知症およびMCI(軽度認知障害)の人の消費行動に関する経済的インパクトが明らかとなっていないことが挙げられます。
そこで、本日は「認知症市場のポテンシャルとは」というテーマで、認知症の市場が介護だけでなく、ビジネスの市場としてもしっかり成立するということをお話しさせていただきます。
日本における認知症およびMCI(軽度認知障害)の人数
高橋光進:まず、認知症をめぐる国内の現状データですが、認知症およびMCI(軽度認知障害)の人数は、2022年時点で合計1,000万人を超え(認知症約443万人、MCI約559万人)、65歳以上の高齢者の約3.6人に1人が認知症またはその予備群と推計されています。

認知症およびMCIの人数と有病率の将来推計(出典:国立大学法人九州大学「認知症および軽度認知障害の有病率調査並びに将来推計に関する研究 報告書(令和6年5月)」を基に日本総合研究所が作成)
将来の推計も見ますと、認知症とMCIの人数は今後も増加し続け、2050年時点には合計1,200万人を超えると見込まれています。つまり、「認知症がごく当たり前の社会」「認知症とともに歩む時代」がすでに訪れていると言えます。
これをビジネスの観点、すなわち人口動態という視点で見てみますと、今後の国内の「生産年齢人口」と「年少人口」は2050年まで減少の一途をたどることが明らかです。
また、日本は「超高齢社会」と言われていますが、65歳以上の「高齢人口」も2045年にピークアウトして減少に転じると推計されています。つまり現在の高齢者市場は人口減少に伴い縮小が予想されるということです。

国内の認知症市場規模(人口ベース)の予測(出典:国立大学法人九州大学「認知症および軽度認知障害の有病率調査並びに将来推計 に関する研究 報告書」(令和6年5月)、国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別 将来推計人口」(令和5年)を基に日本総合研究所が作成)
その一方で、認知症・MCIの人数の推移は、2050年以降も一貫して伸び続けます。2035年には、認知機能が低下した方の人数が、中学生以下の年少人口を上回ると見込まれています。どのセクターも人口が減っていく中で、認知症市場は日本国内でも数少ない「成長市場」と捉えることもできるのです。
「施設」ではなく「地域」にいる認知症・MCIの消費者たち
高橋光進:以上のデータに基づいて「認知症とMCIの人数は今後も増えるのでビジネスチャンスがある」と申し上げると、企業の方からは「でもそうした方々は施設や病院にいるのではないか?」という疑問の声をよくいただきます。確かに認知症になったら施設に入るというイメージを抱いている人は少なくありません。しかし次のデータを見ますと、その認識は誤りだと言えるでしょう。
認知症およびMCIの方々は、病院や施設の中だけにいるのではありません。2025年時点の推計では、認知症およびMCIの高齢者約1,000万人のうち、約9割にあたる905万人は在宅で生活を送っています。一人暮らしの方も約250万人おり、施設に入所されている方は約131万人ほどにとどまります。

認知症およびMCIの高齢者の一人暮らし、在宅生活、施設等入所の状況の推計 (日本総合研究所作成)
つまり、認知症の方の多くは、地域社会の中で生活者・消費者として、スーパーを利用したり、電車やバスに乗ったり、銭湯に行ったり、カフェに行ったりして、確実に地域社会の中に存在しているのです。地域で生活しているということは、当然そこで消費活動が生じます。
では、在宅で生活している認知症・MCIの方々がどれくらいお金を使っているのでしょうか。日本総合研究所で推計した結果、2025年時点で、在宅の認知症・MCIの高齢者の年間消費支出は約14兆7388億円に達することが分かりました。

在宅で生活する認知症およびMCIの高齢者の年間消費支出総額の推計結果(日本総合研究所作成)総務省統計局「家計調査(2023年計)」における世帯類型ごとの高齢者の年間消費支出総額(男性単独世帯181.4万円、女性単独世帯177.6万円、2人以上世帯313.4万円)に「年齢階級・性・世帯類型別の認知症およびMCIの高齢者の将来推計人口」を乗じて算出。
2050年時点では、認知症およびMCIの人数増加を受け、在宅生活者は約1,034万人に増加します。それに伴い支出額は25年間で2兆円以上も増加し、約16兆9845億円に達するという推計結果が出ました。在宅の認知症・MCIの高齢者は年間約17兆円弱ものお金を使うということです。
2024年の訪日外国人旅行消費額は約8.1兆円ですので、それに比べても認知症およびMCIの高齢者の消費行動は、わが国にとって非常に大きな経済的インパクトを持つ数字だと言えるでしょう。

「在宅で生活する認知症およびMCIの高齢者の年間消費支出総額」の推計方法 (日本総合研究所作成)
認知症への取り組みを「社会貢献」から「経営戦略」に転換する重要性
高橋光進:従来、認知症に関する話題というと「医療」や「福祉」の領域で語られることが多かったと思います。しかし以上のような15兆円〜17兆円という市場規模を考えると、福祉というよりは、「ビジネス」「事業」としてどう開拓していくかが、企業にとっては事業継続性を左右することになると言っても過言ではありません。
例えば、スーパーにとっても数兆円規模のお財布を持っている方々が地域に存在するということは大きなビジネスチャンスだと言えます。認知症およびMCIの高齢者の多くは在宅で生活しており、企業の提供する製品やサービスを日常的に利用しています。そうした方々への対応を怠れば、顧客が離れてしまうかもしれません。認知機能が低下して買い物ができなくなり顧客が離脱してしまうことは、この巨大な市場を逃すことになります。
これまでの企業の考え方は、「助けないといけない人」「特別な配慮が必要な人」として認知症・MCIの方々を捉えがちでした。しかし、今後は「17兆円規模の購買力を有する重要な顧客」として捉え直すことが重要です。

考え方の転換の必要性(日本総合研究所作成)
17兆円規模の購買力を有する認知症の方たちが使いやすい製品・サービスを開発し、健全な市場を形成することを成長産業として捉えると、企業成長においても重要な役割を果たす可能性があります。
これは「社会貢献」ではなく「経営戦略」と言えます。「スローショッピング」などの取り組みも、福祉的な色合いだけでなく、「ビジネスの継続性上、やらなければならないこと」として捉えるべきだというのが、私からのメッセージです。
認知症の方々の「困りごと」はビジネスの種になる
高橋光進:では、認知症およびMCIの高齢者には、具体的にどのようなニーズがあるのでしょうか。
認知症の定義は、「日常生活に支障が生じる程度にまで認知機能が低下した状態※1」です。注目されがちな「もの忘れ(短期記憶障害)」だけでなく、時間・場所・人の認識に支障が出る「見当識障害」や、物体の位置や距離感がつかみにくくなる「視空間認知障害」など、人によって症状は様々です。
その症状に応じてさまざまな「困りごと」があり、裏を返せばそれが「ビジネスの種」となります。例えば、買い物において「支払い金額の計算ができない」「会計せずに帰ってしまう」といった困りごとを解決することは企業の競争力になりますし、ベンチャー企業であればそこに特化した製品を作ることで収益を上げることも可能です。
※1「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」第二条(定義)この法律において「認知症」とは、アルツハイマー病その他の神経変性疾患、脳血管疾患その他の疾患により日常生活に支障が生じる程度にまで認知機能が低下した状態として政令で定める状態をいう。
すでに認知症に取り組み始めている企業も出てきておりますので、いくつか先行事例をご紹介します。
先行事例:トヨタ自動車「ツギココ」
例えば、トヨタ自動車株式会社は、誰もが不安なく外出できる徒歩用道案内サービス「ツギココ」を全国の100人以上の認知症の方とともに開発中です。これは腕時計型のデバイスで、事前に行きたい場所を登録しておくと矢印で案内してくれる製品です。
既存サービスのマップ機能等に対して、認知症の方から「自分がどちらを向いているかわからない」といった声があることを踏まえ、直感的に使える製品として開発されています。
開発にあたっては、日本総合研究所も社会実装に向けた実証実験に協力し、2025年度は認知症の方11名、ご家族等8名にご参画いただきご意見をいただいています。開発担当者が実際に認知症の方と一緒にプロトタイプを使い、「行きたかった美術館に行けるか」を検証し、何度も改良を重ねています。今後も引き続き実証実験を進め、社会実装することを目指しているところです。
先行事例:小谷常「旅館・水屋敷」
また、京都府京丹後市で旅館「水屋敷」を経営している株式会社小谷常も認知症の取り組みに積極的です。水屋敷はもともとユニバーサルツーリズムに力を入れていた旅館ですが、病気や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく宿泊できる旅館を目指しています。
そこで、実際に認知症の方にも宿泊していただき、施設やサービス内容について意見交換を実施しました。その結果、例えば「大浴場に入った時に、どのかごに自分の荷物を入れたかわからなくなる」という声に対し、かごに名前を書ける札を用意するといった工夫をするようになっています。
スローショッピングにおいても、企業側が用意した仮説を認知症の方に体験してもらい、フィードバックを得てより良い店舗・サービスを作っていくプロセスが重要になるでしょう。
経済産業省「オレンジイノベーション・プロジェクト」

高橋光進:現在、われわれ日本総合研究所では、経済産業省と共に「オレンジイノベーション・プロジェクト」を推進しています。 これは認知症の方が「被験者」ではなく「開発パートナー」として企業の開発プロセスに参画し、対等な立場で新しい製品・サービスを共創する取り組みです。
2020年から小さく始まったプロジェクトですが、2025年12月現在、58の企業・団体にご参加いただくまでになりました。トヨタ自動車のような大企業から、ご夫婦で経営されている企業まで参加企業はさまざまですが、ここで重要なのは国から補助金をもらわずに、各社が持ち出しで本気で事業性を見定めて取り組んでいる点だと言えます。

オレンジイノベーション・プロジェクトに参画する企業・団体(出典:経済産業省「認知症イノベーションアライアンスWG 令和7年度第1回事務局資料」)
この「オレンジイノベーション・プロジェクト」から実際に生まれた製品としては、次のような例が挙げられます。
リンナイのガスコンロ「SAFULL+(セイフルプラス)」
リンナイ株式会社では、認知症の人や支援者の声を取り入れて、認知機能が低下しても調理を楽しめるよう、間違え防止のカラーリング、聞き取りやすい音声案内等の特長を持つガスコンロ 「SAFULL+(セイフルプラス)」を開発しました。「火が消えます」というアナウンスも、単語の区切り方や言葉選びまで検証して作られています。 「誰でも安心して使えるガスコンロ」 としてシニア全般向けにも販売されています。
大醐の靴下「Unicks(ユニークス)」
株式会社大醐では、認知症の人と共に、かかと・左右・前後ろもない、 履き口が分かりやすい靴下「Unicks (ユニークス)」を開発しました。「どんな人でも履きやすい魔法の靴下」 として一般向けにも販売されています。

誰にとっても使いやすい製品(日本総合研究所作成)
その他の企業でも、認知症の方にサンプルの服を着ていただいて意見交換したり、デジタル時計を自宅で1ヶ月使ってもらったり、認知症の人との対話を重ねて開発のヒントを得ています。北國銀行は地域の認知症の方と議論しながら、10万円以下の引き出しに特化した、不要な機能を削ぎ落としたATMを開発しています。

ここで重要な視点として、「認知症の方に使いやすいものは、誰にとっても使いやすい」ということが挙げられます。
例えば、リンナイのガスコンロは、当初は認知症の人の声を聞いて作られましたが、現在は「誰でも安心して使えるガスコンロ」として一般シニア客向けにも販売されています。株式会社大醐が開発した靴下も、今では「どんな人でも履きやすい魔法の靴下」として一般向けに販売されています。
認知症の方に使いやすい製品・サービスは、様々な障害のある人々にとっても使いやすいものであり、一般需要の潜在的な需要規模は大きいと考えています。
スローショッピングも同様で、認知症の方を念頭に置きつつも、結果として誰もが使いやすい買い物環境になるはずです。「認知症の方専用」と限定するのではなく、誰にとっても価値があるものとして進めることが重要です。
販売流通の強化と安心して購入できる仕組みも重要
高橋光進:多くの企業が認知症に関する取り組みを加速させている中で、課題も見えてきました。それは認知機能の低下した人をユーザーとして想定した製品・サービスを「どう売っていくか」です。せっかく良い製品・サービスができても、既存の販路ではユーザーに届かないことがあります。認知症の方やご家族が日常生活の中で気軽に購入ができる環境の整備が必要です。
そこで現在、イトーヨーカドーやイオンリテールといった大手小売企業とも連携し、必要としている人に訴求できる売り場やスペース作りができないか議論しています。スローショッピングの場に、こうした製品を集めて販売するといった展開もあり得るでしょう。
さらに近年は特殊詐欺は増加傾向にありますので、使用方法・メリット・リスク等をわかりやすく説明してから購入いただいたり、購入後のフォローアップを丁寧に実施したり、流通販売のあり方にも配慮が必要になってきます。認知機能が低下した高齢者に対する企業活動においては、安心・安全な消費行動を担保し、顧客の意図に反した消費行動を誘発しない注意もより重要になってきます。
例えば、消費者庁は「認知症の人に配慮した顧客対応の指針※2」として、5つの指針を示しています。
- 1. 安心して質問したり買物したりできる環境を整えよう
2. 記憶力低下を補う方法(説明内容の資料など)を工夫しよう
3. 契約に当たっては、本人の理解度を確かめよう
4. 認知症に気付いて対応できるよう準備しよう
5. 1から4が達成されているか定期的に確認する仕組みを作ろう
※2「認知症の人にやさしい対応のためのガイド 安心・安全な契約に向けて」(消費者庁)
また、「認知症基本法」においては、国・地方公共団体などが企業と連携して取り組むことの必要性が強調されていますが、ナレッジやノウハウを共有しながら、認知症の方を含めた高齢者が安心して消費活動をおこなえる制度や仕組みの整備が重要になってきます。

認知症になっても使いやすい製品・サービスの市場形成に向けた提言(日本総合研究所作成)
本日は、約17兆円という認知症の市場規模と、そのビジネスの可能性を見てまいりましたが、今後の展望としては次の4つのポイントを同時に進めていくことが重要だと考えています。
・ 認知症になってからも使いやすい製品・サービスの開発
・その製品・サービスを日々の生活の中で気軽に購入・利用できる仕組みの整備
・安心・安全な消費行動を担保するための仕組みの整備
・製品・サービスの開発に挑戦する企業のほか、国や地方公共団体も含めた多様な主体の連携
認知症・MCIの方々との共生社会の実現に向けて、製品・サービスの開発に挑戦する企業と、国や地方公共団体などがノウハウを共有しながら連携していくことで、より安心して消費活動を行うことができる仕組みを整えられると信じています。
私からの発表は以上となります。ご清聴いただきありがとうございました。



