認知症になってからも“新しいつながり”がつくれる - 藤田和子さん(ご本人)
2018年8月4日取材 ホテルニューオータニ鳥取(鳥取県鳥取市)
代表理事/藤田 和子 さん
1961年、鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に7年間勤務。同居する義母、義父を10年余り介護した後、個人病院に復職し8年間勤務。2007年6月、45歳で若年性アルツハイマー病の疑いありと診断され、翌年退職。その後、別の病院で確定診断を受ける。2010年から認知症になっても自分らしく暮らせる社会をつくるための活動を続け、現在、日本認知症本人ワーキンググループの代表理事を務める。地元の鳥取市で「公民館サロン」「本人ミーティング」を2カ月に一度開催。2019年4月からは、市の認知症地域支援推進員事業の一環として、月に一度、認知症の本人自らが、認知症当事者の暮らしの相談を受ける「おれんじドアとっとり」を始めている。
以前、胸にしこりができて、乳がんかもしれないと思って受診したことがありました。結局はがんではなく、ホルモンの影響によるものだったのですが、そのときに医師が「よく気がついたね」と褒めてくれたんです。「こんなに小さいしこりなのに」って。認知症の場合は、自分で早く気づいても褒めてもらえませんよね。
私は2007年に、朝食べたコーヒーゼリーのことをすっかり忘れていたことがきっかけで、脳神経内科を受診しました。その1年ほど前から、本の内容や登場人物が覚えられなかったり、半年前からは約束の時間を忘れたり、日々の生活の中で「何かおかしい」というぼんやりとした違和感はありました。
脳神経内科では、「若年性アルツハイマー病と思われる」と診断されました。でも治療は行わず、1年間様子をみることになりました。1年後、再検査の際に、生活のしづらさや不安な思いを訴えたのですが、医師は「しっかりしているから大丈夫。まだ若いのに薬を飲んでどうするの」と言うばかりです。何だか取り合ってもらえないような印象を受けました。
その後、アルツハイマー病の専門医である現在の主治医に出会うことができました。そこで髄液検査の結果から、『若年性アルツハイマー病』という確定診断を受け、すぐに薬物治療が始まりました。その先生は、私や家族の話を丁寧に聞きながら、薬の量を細かく調整してくれるので、診断がつく前よりも生活がしやすくなったと感じています。
ただ、その先生に「記憶はどうですか?」と聞かれたくないとお話したことがあるんです。「記憶がなくて困ったことがある?」とか「何か失敗した?」と聞かれると、忘れたこと、失敗したことばかりに意識が向いて気持ちが落ち込みます。それよりも、「最近お友達と会って話をしたりしている?」とか、「この前、家族と喧嘩したと言っていたけれど仲直りした?」といった問い掛けから始めてもらえると、その人の生活の様子も垣間見えるじゃないですか。付き添いの家族や友だちがそういう話を聞けば、「そういえば最近は一緒に食事に行っていないな」「楽しいことをしていないな」と、暮らしという視点がインプットされます。そこで先生が、「人間関係を継続していくことが大事なんですよ」とひと声かけてくれたら、「ああそうか、食事に誘ったりすることも本人の治療に役立つんだ」となりますよね。
私はずっと「人間関係の継続が大切です」と言い続けてきました。以前は、病気になる前の人間関係のことを考えていました。でも、当事者の仲間や、認知症の人がより良い生活ができるように一緒に考え、動いてくれる人たちと関わるなかで、今は認知症になってからも新しい人間関係がつくれると実感しています。だからデイサービスにしろ、認知症カフェにしろ、認知症の人の居場所をつくってそこが終点とは考えてほしくありません。そこからさらに、新しい人だったり、新しい地域だったりとつながることが大切だと考えて、それぞれの意思を尊重した希望につながる手助けをしてほしいのです。
「知っておきたい ごく早期の認知症 〜Brain Health時代を踏まえて〜」より
藤田和子さんの著書
認知症になってもだいじょうぶ!
そんな社会を創っていこうよ
認知症の人、これから認知症になるかもしれない人や
そのパートナーになる人々への貴重なヒントにあふれています。
〔1年前、半年前、1カ月前の私と今の私とでは変化があります。明らかに疲れやすくなったし、自分が思うようには生活できずにイライラすることも増えました。病状は着実に進んでいると感じます。ですから今のうちに、これまで話してきたことやフェイスブックに投稿してきたものを中心に、私が考えていることをまとめてみようと思います〕(本書「はじめに」より)。