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認知症の母を8年介護する筆者が考える、認知症介護3つの乗り越え方 - 工藤広伸さん(ご家族)
更新日:2024/10/01

認知症の母を8年介護する筆者が考える、認知症介護3つの乗り越え方 - 工藤広伸さん(ご家族)

認知症の母を8年介護する筆者が考える、認知症介護3つの乗り越え方 - 工藤広伸さん(ご家族)

もしあなたの身近な人が認知症になったら──。認知症にまつわる実体験をつづったコラム連載「私の家族は認知症」。今回の書き手は、認知症の実母を8年間支えている介護作家・ブロガーの工藤広伸さん。母が認知症と診断されてから、現在までを振り返ります。 

「おばあちゃんが、救急車で運ばれた」

2012年11月、都内にある生活雑貨を扱う会社の商品部マネージャーとして働いていた私(当時40歳)に、岩手で暮らす妹から緊急の電話がありました。

祖母(当時89歳)が救急搬送されただけでも驚きなのに、さらにショッキングな報告が続きました。

「お母さん、おばあちゃんの入院手続きやってない」

祖母は、アルツハイマー型認知症で要介護3。自分で入院手続きができる状態になく、岩手の実家で祖母の介護をしていた母(当時69歳)がやらなければいけない大切な仕事です。しかし、救急搬送された翌朝、居間のテーブルにあったのは白紙の入院申込書。妹に指摘された母は、慌てて記入を始めました。

実はこの報告を受ける1年前から、母が同じ話を何度も繰り返したり、約束を忘れたりすることが増えていました。年相応の物忘れなのか? それとも認知症なのか? 母の状態は不安でしたが、転職してわずか9カ月目だったこともあり、私は仕事を優先しました。
検査の結果、祖母は子宮頸がんで、余命は半年と診断されました。認知症の疑いのある母に、祖母の余命を託すわけにはいきません。

祖母と母の面倒を誰が見るのか? 父は20年以上前に家を出てしまったため、介護の戦力になりません。妹は当時小学生の子ども2人の子育てと仕事で忙しい身でした。東京と岩手は直線で500kmの距離がありますが、私が遠距離介護で祖母と母の面倒を見る決断をしました。

病院探しに半年を費やし、母はそこでアルツハイマー型認知症と診断されました。さらにその半年後には、祖母は天国へ旅立っていきました。

東京から岩手まで、片道5時間の道のり。介護が始まった当初は、「2人同時に面倒をみるのは難しいから、息子さんがふるさとに戻ったほうがいい」「お母さんを施設に預けたほうがいい」など、介護職の方や親族などからアドバイスをもらいました。

しかし、私が岩手に帰れば、妻を1人東京に残すことになります。多くの友人、知人が東京にいるのに、これらを捨てて岩手へ帰る選択はどうしても考えられず、遠距離介護の道を選んだのです。

  

現在も岩手の実家と東京を東北新幹線で行き来していて、もうすぐ丸8年になります。介護離職をしてフリーランスになってからは、月2回のペースで、1週間ほど滞在する生活を送っていましたが、今は新型コロナウイルスの感染リスクを考慮して、帰省頻度は減らしています。

そうした介護の模様は、ブログ「40歳からの遠距離介護」や書籍、講演会などで発信を続けています。全国から多くの悩みが寄せられる中、特に親の認知症が判明したとき、子は大きなストレスを抱えることが分かりました。

このストレスをどう乗り越えたらいいのか、3つのポイントにまとめました。

1.認知症の正しい知識を理解する

親の認知症が分かったとき、自らの人生をすべて投げうって、認知症介護に当たらなければならないと考え、ショックを受ける方を多く見てきました。

そうした方々に共通しているのは、親が認知症になってしまったら、何もできなくなってしまう、記憶がすべてなくなってしまうと誤解していることです。認知症という言葉の響きだけで必要以上にショックを受けて、深刻に考えてしまうのです。

実際は、認知症になっても正しい医療やお薬、周囲のサポートがあれば、自立した生活を長く送ることができます。「介護は情報戦」という言葉がありますが、認知症も情報戦です。認知症への正しい知識が「少し」あるだけで、最初のショックは小さくなります。

親に元気で長生きしてほしい、認知症が進行しても人生を楽しんでほしいと考えるのなら、まずは認知症に関する本を1冊読んでみてください。あるいは認知症に関する講演会に足を運んで知識を得ましょう。

2.会社を辞める前に、誰かに相談する

ある調査によると、「誰にも相談せずに介護離職を決めた人」の割合が2人に1人もいました。なぜ、会社を辞めてしまうのでしょう?

それは、誰に相談していいか分からず、自分自身で何とかしようと考え、勢いで会社を辞めてしまうからです。

最初に相談すべき先は、親の家の近くにある地域包括支援センター(以下、包括)です。介護保険サービスの申請や利用について相談できます。先ほどの調査では、包括に相談した場合、相談しない人と比べて、介護離職者が約10分の1まで減少しています。

さらに、会社の介護休業制度を活用しましょう。この制度は介護する家族1人につき、最大93日の休業取得が可能で、3回に分割できます。

介護休業は、自分で介護するために取得するのではなく、介護の態勢を整えるための休みです。具体的には、ヘルパーなど介護保険サービスを利用するために、最初に行う要介護認定の面談を設定したり、ケアマネジャーとサービス利用について考えたりするために休むのです。

介護保険サービスや介護休業制度がどんなに整備されていても、職場に迷惑をかけたくないという罪悪感から、会社を辞めてしまう人もいます。最後は介護と仕事を両立させるという、自分自身の意思の強さが求められます。

3.介護家族が必ずたどる4つのステップを理解する

神奈川県川崎市にある川崎幸クリニック院長・杉山孝博先生が提唱する、認知症介護家族が必ずたどる4つのステップを理解しておきましょう。

認知症介護中の揺れ動く家族の心情をまとめたもので、私は介護2カ月目でこのステップを知り、介護の未来が見えて、気持ちが楽になりました。

第1ステップ 「とまどい・否定」

今までできていたことが急にできなくなる、しっかりしていた親が突然変なことを言いだして、「とまどい」ます。そして、親の認知症を認めたくないので「否定」します。誰にも相談できず、ひとりで悩む時期です。

第2ステップ「混乱・怒り・拒絶」

とまどって否定しても、認知症の症状は一向に変わりません。どう対応していいか分からず、次第に「混乱」します。なんとか理解してもらうべく、言い聞かせたり注意したりするのですが効果はありません。

次第に「怒り」に震え、どうしようもなくなった家族はとうとう介護を「拒絶」してしまいます。肉体的、精神的に限界が近づくステップです。

第3ステップ「割り切り、あるいはあきらめ」

第2ステップで、疲労困憊する家族。次第に、認知症とうまく付き合っていくしかない、自分自身の身がもたないと気づき始め、認知症を割り切って、いい意味であきらめて、親と接することができるようになります。介護に、希望の光が見え始めます。

第4ステップ「人間的、人格的理解」

誰もが認知症になるかもしれないし、家族の不安な気持ちもよく分かる。認知症への理解が深まり、親自身をあるがまま受け入れられるようになります。

これら3つのポイントを抑え、親の認知症が分かったときのストレスの緩和に役立ててほしいと思います。

  

1年ほど前、母にこんな質問をしました。

「ねぇ、今の生活ってどう?」

すると母から、想像もしていなかった答えが返ってきました。

「人生で今が1番楽しいかもしれない」

親が認知症になったからといって、親の人生も子の人生も終わりではありません。母のように認知症であっても、人生が楽しいと感じられることもあります。親に最期まで人生を楽しんでもらうために、たくさんの知恵で支えましょう。


文:工藤広伸(くどう・ひろのぶ)
岩手県に住む認知症で難病の母(77歳・要介護2)を、東京から遠距離在宅介護を続けて8年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や末期ガンの父(要介護5)の介護も行い看取る。30代、40代と2度の介護離職を経験。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「あさイチ」で取り上げられる。

編集:ノオト(2020年11月執筆)