本人と出会えば一瞬でなくなる偏見もあります。 - 平田知弘さん(映像プロデューサー)
2020年7月 オンライン取材
お話を伺った方
100BLG株式会社取締役/CCO(最高コミュニケーション責任者)。一般社団法人栄樹庵理事 「SHIGETAハウスプロジェクト」ディレクター。元NHKディレクター。「伝える側」から「つくる側」になろうと決意して2019年に独立。
平田さんが認知症に関わるようになった
きっかけは何だったのでしょう。
僕の場合は仕事です。2006年、NHKのディレクターだった僕は、認知症の治療薬開発の最前線を取材するため、全米各地やカナダの大学・製薬会社を訪ねて回りました。新薬開発にものすごい時間と労力をかける研究者たちの姿に圧倒されたものです。当時の番組づくりの視点は、「認知症にはならないほうがいい。ならない方法を見つけることに力を注ぐべき」といったものでした。当時の空気感がそうだったんです。人間は理性の存在であり、その人間から理性を奪う(と当時考えられていた)認知症は、絶望の病(やまい)。それが欧米の価値観だと感じました。そういう空気に触れ、僕も同様の認識でした。いま思えば偏見ですけれどね。
いま偏見といわれましたが、平田さんの中の認知症のイメージが
その後の取材を通して徐々に変わっていったわけですか。
変わっていくというか、もう一瞬でした。「認知症になると理性が失われる」「自分が自分でなくなる」といった偏見が少しずつ解けていったという感覚ではなく、認知症のある人に出会って話したその瞬間に、そんなことは嘘だとわかりました。
2017年に京都でアルツハイマー病の国際会議が開かれるのを前に、僕は「本人の声を聴こう」という番組を提案し、制作が決まりました。全国の高齢者施設などからメッセージを募集したところ、たくさんの声をいただいて、すべて目を通しました。その中に衝撃的な手紙があったんです。
小学校の元校長先生で、59歳の時に認知症と診断された大阪の男性の方からの手紙でした。自分はアルツハイマー病になった。この先もしかしたら妻に暴力を振るうようになるかもしれない。それが怖い。そういったことが直筆の、少し傾いた筆跡で書かれていました。その中に「アルツハイマーになったら悪いのでしょうか」という言葉があったんです。僕はそれを読んだ時、雷に打たれたようなショックを受けました。
病気になったことを恨むというのならわかります。でも彼は病気を責めるのではなく自分を責めている。それはどう考えてもおかしい。こんな状況にあるのは、本人がどうというより、社会の問題じゃないかと思い、自分なりにコミットメント(関与)しようという気持ちがすごく高まりました。
病気になった自分を責めてしまうという状況は
どのようなものだったのでしょうか。
彼に会いに行き、いろいろ話をしてわかったのは、「内なる偏見」みたいなものがあることでした。彼は自分がアルツハイマー病だと知ってから、認知症のことを調べるために図書館に通います。認知症の世界って、日々情報や認識が更新される世界なのですが、図書館には古い本もたくさん置いてありますよね。僕は彼と一緒に図書館に行き、彼が読んだ本をみたのですが、「暴力をふるうようになります」とか、ひどい場合は「卑猥(ひわい)なことを言うこともあります」といったことが断定的に書かれていました。介護者向けに書かれたそうした本が図書館の棚に並んでいるわけです。
彼はそうした本を手に取り、ものすごい衝撃を受けました。それが認知症になった自分を責めることにつながりました。彼はその後何年も、ほとんど人に会わない生活を送ってしまいます。この現代においてこんなことが許されていいのだろうか。僕もジャーナリストだったので、この状況を何とかしたいという感覚になりました。僕が認知症のことを初めて真剣に考えた時だったのかもしれません。それまでは本を読んで勉強していただけですから。
実際に認知症の人と話をしたりすることが
思い込みや偏見をなくす一番の近道ということですね。
そう思います。僕は大阪の男性と出会ったのと同じ頃、東京都町田市にある「DAYS BLG!」(以下、BLG!)というデイサービスに通い始めるようになりました。本人の声を聴くという仕事を始める時に、会社の先輩に相談したら、「取材とかじゃなく、まずは行け」と言われたんです。僕はNHKでずっと福祉の番組を手がけていたので、介護施設もけっこう取材していたのですが、初めてBLG!を訪れた時は、自分の中の施設のイメージとあまりにもかけ離れていることに驚きました。人間味のある人たちがいっぱいいて、認知症だからといって萎縮することなく過ごしています。ありていにいうと、「おもろいおっちゃん・おばちゃんたちじゃん」という感じなんです。それからは、仕事で行く時もありましたが、それ以外にも時々BLG!を訪れ、みんなと一緒に1日過ごしたりしています。
なぜBLG!に惹かれたかというと、当時考えていたことが二つあります。一つは、BLG!がジャーナリストにとって大切なことを再確認されてくれる場所だと思っていました。NHKは大きな組織ですから、その中で番組をつくっていかなければなりません。そこに捉われていると大切なものを見失ってしまいます。ジャーナリストとして何を伝えなければいけないのか。それはマイノリティの問題だったり、人間の価値だったりするのですが、そういうものをBLG!で再確認できると考えていました。
もう一つは、BLG!が僕にとっても癒しの場だということです。認知症があっても否定されないということもあり、BLG!に来ている人たちはすごく解放された状態で時間を過ごしています。僕はそこに癒しを感じていました。今でも感じています。
たとえば会社に勤めていると社員としての自分がいます。家族の中での自分もいます。いくつかの自分がいて、それぞれの立場に応じた役割を要求される。もし要求に応えられなければ疎外感を感じるでしょう。BLG!では、そういうものから離れた状態でいられるように感じました。自分の人生においてこれまでにない自分でいられる場所ではないかと。認知症のある人にとってもそうだし、僕にとってもそうなんです。
(SHIGETAハウスプロジェクトHPより)
NHKを退職後、BLG!を全国100カ所に増やし、
互いに学び合うプラットフォームをつくる「100BLG」や、
認知症の人や家族を含めた地域の集い場「SHIGETAハウス」など、
認知症に関わる活動を新たに始めていますね。
これも二つの理由があります。一つは仲間といて楽しいからです。100BLGにしてもSHIGETAハウスにしても、同じ方向を向いている人たちと一緒に時間を過ごせるということが僕にとって大きいのです。
もう一つの理由は、認知症に関わることに価値を見いだしているからです。人がどう生きるかとか、人間はどういう存在なのかを考えることと、認知症は強く結びついていると僕は考えています。もう少しわかりやすくいうと、認知症は社会の矛盾を反映している。だから関わっているわけです。
一つ付け加えておきたいのですが、人によって認知症に対して思い浮かべるイメージは全然違います。認知症のある人といっても、施設に入っている人もいれば、まだはっきりと診断を受けていない人もいます。施設に入居している人をイメージして、「認知症の人」といっているケースも多いでしょうが、僕はもう少し広い範囲で本人さんたちと出会っているので、思い浮かぶものが違っているような気がします。世の中のイメージはけっこう偏っている印象を受けるので、現実に合ったものに是正したいという思いがあります。そうしないと話が噛み合いませんから。
本人と出会うことの大切さは今日のお話でよくわかったのですが、
一般の人は、家族が認知症でなければなかなか「出会い」の機会がありません。
そうですね。入居施設が多いことのマイナスの側面というか、認知症のある人たちを一定の場所に集めてしまうと、「この社会の中に認知症のある人はそんなにいないんじゃないか」という錯覚を持ってしまいやすいと思います。実際、僕もそうでした。たまたまきっかけを得て、大阪の男性と出会ったり、BLG!に行くことができたので、自分の間違いに気付けました。
BLG!に通うメンバーさんたちは、企業から請け負う有償ボランティアに加え、地域の小学校での紙芝居の読み聞かせなどもしています。認知症に関する紙芝居なのですが、読み聞かせの後にメンバーさんが「実はおじちゃんたちも認知症なんだよ」と話すと、子どもたちは「おお!」っとなるわけですよ。いま紙芝居を読んでくれた人が認知症なんだと。そういう活動も大切だと思います。
この3年ぐらいで、認知症に対する社会の見方はずいぶん変わったように思います。少なくとも「何もわからなくなるのでしょう」といった決め付けはだいぶ減ったのではないでしょうか。一方で、「認知症の人は普通に暮らす普通の人」ということばかり強調される傾向には少し危うさも感じています。それも何か違うなと。「自分の人生に大きな出来事が起こり、不安や悩みを抱えながら今を生きている人たち」という捉え方が大事ではないでしょうか。
あなたにとって
認知症とは何ですか?
あなたにとって認知症とは何ですか?
僕の住むこの周りにも認知症のある人はいるでしょうし、認知症は日常のものという感覚です。だから別に考えなくてもいいではなく、日常だからこそ、認知症とはどういうものなのか、認知症になるとはどういうことなのか、もっと理解する必要があるのかなと感じています。