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46歳で若年性認知症と診断された写真家・下坂厚さんが見つけた“ディメンシアギフト”という希望
更新日:2026-04-02

46歳で若年性認知症と診断された写真家・下坂厚さんが見つけた“ディメンシアギフト”という希望

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写真家の下坂厚さん

46歳という若さで、若年性アルツハイマー型認知症と診断された写真家・下坂厚さん。「人生が終わった」という絶望から、彼はいかにして「認知症は新しい人生の始まり」と語るまでになったのでしょうか。

写真家として下坂さんの視点が捉えた「一瞬」を「永遠の世界」に閉じ込めたその写真の数々は、SNSや写真展を通して多くの鑑賞者の心を掴んでいます。

その傍らで全国での認知症関連の講演やピアサポート事業に奔走する下坂さん。しかし、その輝かしい活動の裏側には、世の中に溢れる「きれいごとの希望」に対する鋭い違和感がありました。

記憶を補完するために始めた写真が、なぜ多くの人の心を打つ表現へと変わったのか。そして、認知症当事者が本当に求めている「寄り添い」とは何か。下坂さんの静かな、けれど情熱に満ちた言葉から、認知症と共に生きる豊かさのヒントを探ります。

40代、働き盛りの「早期絶望」。若年性認知症による退職と社会的な孤立

テヲトル
テヲトル編集部

下坂さんは、46歳という若さでアルツハイマー型認知症と診断されました。当時の状況や、お気持ちを伺えますか?

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

京都の鮮魚店で、活気に満ちた日々を送っていた頃でした。
「注文を忘れる」「昨日までの当たり前ができない」といった異変が続き、検査の結果、若年性アルツハイマー型認知症だと。
診断された時は「人生、終わった」と目の前が真っ暗になり、それこそ「自分が命を絶てば、保険で住宅ローンが払えるかもしれない」と思い詰めたことさえあったほどです。

テヲトル
テヲトル編集部

今の活動的な下坂さんからは想像もできないほどの、深い葛藤があったのですね。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

実は診断を受ける少し前に仲間たちと鮮魚店を立ち上げたばかりだったのですが、「何もできなくなるなら、仕事でも迷惑をかけるだけだ」と考えてすぐに辞めたんです。自分で決めたことではあったけれど、収入の不安はもとより、社会に居場所がなくなった絶望は計り知れないものがありました。

テヲトル
テヲトル編集部

認知症になったら「何もできなくなる」という強い思い込みが、下坂さんを追い詰めてしまったのでしょうか。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

今なら「そんなことはない」と断言できますが、世間に蔓延するスティグマ(偏見)は本当に根深いです。私もそうでしたが、多くの方は認知症にマイナスのイメージしか持っていないはず。
特に働き盛りで発症する若年性は、発見が早い分「早期診断=早期絶望」と言われているんです。

テヲトル
テヲトル編集部

早く見つかることが、かえって残酷な宣告になってしまうと。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

そうなんです。早く発見されたということは、まだ症状も軽く、多少の違和感はあっても日常生活は問題なく送れている状態です。そんな時に「あなたはこれから何もできなくなります」と宣告されるようなものですから、未来が断たれたような絶望しか感じられませんよね。

テヲトル
テヲトル編集部

その「何もできなくなる」という誤解が、診断を先延ばしにさせたり、当事者を社会から孤立させたりする大きな壁になっているのですね。

若年性認知症がもたらした贈り物「ディメンシアギフト」とは

テヲトル
テヲトル編集部

「早期絶望」という言葉が出るほど辛い状況から、現在のような前向きな捉え方に変わったきっかけを教えてください。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

転機となったのは、がん罹患経験者の方々が使う「キャンサーギフト」という言葉との出会いでした。以前、あるウェブ記事のインタビューを受けた際に、記者の方がご自身のがん経験を語ってくださって。そしてがん患者さんが不安や絶望を乗り越えた先に、「キャンサーギフト」というものを実感するということを教えてくださったんです。

テヲトル
テヲトル編集部

「がんがもたらした贈り物」という意味合いですね。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

がんという大きな病気を経験したからこそ得られた気づきや出会い、人生観や人間関係の深まりといったポジティブな側面を指す言葉なのだそうです。そのお話を聞きながら、自分が認知症になってから感じたり、経験したりしてきたことが言語化できたような気がしたんです。

テヲトル
テヲトル編集部

かねてから下坂さんは「認知症になって良かったこともたくさんある」と発信されてきましたが、それこそが「認知症がもたらした贈り物」=「ディメンシアギフト」だったのだと。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

もちろんその気づきに至るまでには時間がかかりました。認知症もやはり他の病気と同じように「早期診断」が付いたほうがその後の選択肢も変わってきます。
そのためにも認知症を必要以上に怖がらないでほしいですし、「認知症は喪失ではなく、新しい人生の始まり」ということを1人でも多くの人に知ってもらいたい。そんな思いを込めて、「ディメンシアギフト」という言葉を発信し続けています。


成人の日に緑の着物を着ている写真2026.1.12 Instagram 投稿

成人の日を迎えた若者のみなさん
おめでとうございます!
今日という日は
何かを決めきる日ではありません
うまく生きる覚悟を固める日でもありません

人生は
思っているよりも長く
そして
思っているよりも何度もやり直せます
間違えたと思った道から
引き返したことが
ずっとあとになって
「あれが始まりだった」と思える日が来る
私は
そんな経験を何度もしてきました

だから大丈夫
急がなくていい
立ち止まっても
遠回りしても
人生は
ちゃんと続いていきます

そして 親御さんへ
ここまで本当にお疲れさまでした
正解のない時代に
迷いながら
悩みながら
それでも今日まで
大事に育ててこられた
それは当たり前のことではありません

これからは
手を離す時間が
少しずつ増えていくかもしれません
でも 関係が終わるわけではない
形が変わるだけです

親も 子も
それぞれの人生が
これからも続いて行きます
今日という日は
そのことを静かに確かめ合う日なのだと
私は思っています

#記憶とつなぐ
#若年性認知症
#成人の日
#おめでとう

若年性認知症当事者として撮る写真。記憶の手段から唯一無二の表現へ?

テヲトル
テヲトル編集部

下坂さんの「ディメンシアギフト」を具体的に教えていただきたいです。たくさんあるとは思いますが、ご自身のライフワークである写真はどうでしょう。「認知症になってよかった」と思うことはありますか?

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

写真は若い頃からずっと撮り続けてきましたが、認知症とともに生きるようになってから、写真を撮る意味が少し変わりました。具体的にはその日に行った場所や食べたもの、会った人など、認知症の症状の1つである短期記憶障害を補うために写真を撮ることも増えています。

テヲトル
テヲトル編集部

写真を撮るという行為が、記憶の手段にもなったということですか?

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

自分としては「手段」であるのと同時に「表現」でもあると思っています。自分の目が捉えた一瞬を永遠の世界に閉じ込めるのが写真という表現ですが、私の場合はそれが記憶とつなぎ合わせていく手段にもなっています。そして、これこそが「自分にしか撮れない写真」なのかもしれないということに気付いたんです。

テヲトル
テヲトル編集部

自分だけの表現に辿り着いた。アートを追い求める方にとっては、この上ない喜びだと思います。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

写真展や著書などのタイトルに「記憶とつなぐ」と付けるようになったのも、自分の表現スタイルが確立できたことが大きかったですね。

 


7ヶ月の子どもの手を手に乗せる2026. 1 .3 Instagram 投稿

生まれて
7か月だったかな
つかまり立ちが

できるようになった
もう少ししたら

歩けるようになるのかな

あなたがいつも
優しさに包まれて
しあわせでありますように

じいじはいつも
願ってます

#記憶とつなぐ
#若年性認知症

テヲトル
テヲトル編集部

写真もさることながら、そこに添えられる文もステキです。もともと文章は書かれていたのですか?

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

写真にキャプションを添えるようになったのも、認知症になってからのことです。FacebookやInstagramへの写真の投稿は以前からしていましたが、「写真を通して認知症当事者から見える景色を伝える」ことを意識するようになってから、文章があったほうがわかりやすいかな? と試行錯誤して現在のスタイルになりました。

テヲトル
テヲトル編集部

そうだったんですね。とても詩的で、文章のセンスもおありなんだなと思いました。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

ありがとうございます。認知症になってから、思考がシンプルになったというか、複雑な文を組み立てるのが苦手になったような気がするんです。その分文章も削って削って、本当に伝えたいこと、大事なことだけが残った結果、おっしゃっていただいたような「詩的な文章」になったのかもしれません。

テヲトル
テヲトル編集部

被写体については、認知症になってからの変化はありますか?

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

以前から京都の町並みを撮るのが好きだったのですが、認知症になってからは風景そのものというよりも、そこに生きる人物にフォーカスするようになりましたね。家族が楽しそうにしていたり、高齢のご夫婦が手を繋いでいたり、何気ない日常の情景が、ああ、いいなと感じることが増えました。

テヲトル
テヲトル編集部

その写真にどんな思いを載せているのでしょう。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

自分にとって写真を撮るという行為は祈りでもあって、シャッターを押すたびに「この光景がいつまでもあり続けますように」という思いを込めています。もちろん、いつまでも続くものなどないことはわかっているけれど。

テヲトル
テヲトル編集部

だからこそ「祈り」なのだと。

下坂厚さんのアバターの写真
下坂さん

はい。私もいつか大切な家族のことすら忘れてしまう日が来るかもしれません。それでも写真に閉じ込めたかけがえのない日々は、永遠にあり続けることができる。写真という表現に惹かれるのも、そんな希望が持てるからなのかもしれません。


空と太陽の光に緑色の物体をかざした写真2025.3.6 Instagram投稿

写真を撮るということは

祈りである

#記憶とつなぐ
#若年性認知症
#KG+
#kyotographie
@kgplus

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