宮城県仙台市では認知症の啓発活動のひとつとして、映画『オレンジ・ランプ』(2023年製作)の上映会を行なっている。
同映画のモデルで、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんが仙台市長に送った1通の手紙。それはやがて仙台市を「認知症になっても安心して暮らせるまち」から、「認知症とともに笑顔で生きるまち」へと進化させる大きなうねりを起こした。

映画『オレンジ・ランプ』上映会のチラシ(写真提供:仙台市 以下同様)
「認知症になっても人生は終わりではない。」
丹野さんからのこのメッセージがきっかけとなり、仙台市は「認知症の人とともに活動するまち」へと進化を続けている。そんな仙台市の認知症施策について、仙台市地域包括ケア推進課の板橋哲也さん、鎌田侑香里さん、大宮薫さんにお話を伺った。
若年性認知症当事者 丹野智文さんが送った一通の手紙から始まった仙台市の挑戦
宮城県仙台市の認知症施策を語る上で欠かせないのが、同市在住の認知症当事者である丹野智文さんの存在だ。
2013年、丹野さんが若年性アルツハイマー型認知症と診断された当時の認知症への理解は、仙台市のみならず国レベルでまだまだ未成熟だった。
公的支援もあるにはあったが、仕組みが複雑なばかりか、担当部署が複数にまたがっていることも多く、役所の窓口に相談に訪れても「たらい回しにされてばかりだった」と丹野さんは当時を振り返っている。
2014年に「日本認知症本人ワーキンググループ」を全国の認知症の仲間と設立していた丹野さんは、「認知症になったら何もできなくなる」という前提に基づいた支援や行政対応にもどかしい思いをしている当事者がたくさんいることを知り、当時の奥山恵美子仙台市長に1通の手紙を送り以下のことを訴えた。
- ・ 「私たちは何もできなくなるわけではない」という当事者の視点
・ 「守られるだけの存在ではなく、社会の一員として役割を持ちたい」という願い
・ 認知症になっても安心して暮らせるまちづくりの必要性
この手紙を受け取った仙台市は、「認知症の人を支援する」という一方的な視点から、「認知症の人とともに歩む」という姿勢を大切に、認知症施策を推進することとした。
またそれまで、福祉施策は専門家や行政職員だけで決められるのが一般的だったが、仙台市は「施策の検討段階から当事者が参画する」仕組みを整えた。
2015年の仙台市認知症対策推進会議から丹野さんが当事者委員として出席し、直接意見を述べるなど、当事者の「声」が、認知症ケアパス等の内容や相談窓口のあり方に直接反映されるようになった。
その後もあらゆる認知症施策において「本人参画」を徹底してきた。
「行政が作った枠組みに当事者を当てはめるのではなく、新たに認知症施策、事業を立ち上げる際には必ず企画立案の段階から当事者の方々と話し合いながら、具現化していきます」と板橋さんはその姿勢を語る。
認知症の人たちを<支援する対象>ではなく、<ともに認知症になっても安心して暮らせるまちづくりをする仲間>と捉え直したことが、仙台市の今の認知症施策10年の歩みのスタートだった。
認知症当事者と「ともに」を追求する「認知症パートナー講座」と「仙台版チームオレンジ」
仙台市では全国的な取り組みである「認知症サポーター養成講座」のほかに、独自の事業として「認知症パートナー講座」を2018年より実施してきた。
仙台市の認知症パートナー講座修了証
仙台市における認知症パートナーとは、「認知症の本人の思いや希望に耳を傾け、味方になって共に歩む人」のことを指している。
この講座は認知症当事者から「認知症というと、重度になった時の症状や介護の大変さが強調されるけれども、初期のころはできないことをサポートしてもらうことで、自立した生活ができる。私たちの思いや希望に耳を傾け、できない事だけサポートしてもらって、出来ることを一緒にする「パートナー」になってもらいたい」という声をきっかけに始めたものである。ここにも認知症の人たちを共に地域で生きる<まちづくりをするパートナー>として捉える仙台市のポリシーが息づいている。
あらゆる施策において「認知症の人とともに」を追求してきた成果の1つとして、2025年11月に「仙台版チームオレンジ」が設置された。

仙台版チームオレンジの募集ポスター
各自治体がその地域の特性に合わせて設置するチームオレンジは、多様な形態で運営されている。その多くが「認知症の人やその家族を具体的な支援に繋げる仕組み」と定義づけているが、仙台版チームオレンジは「認知症の人とともに活動する」ことを明確に打ち出している。
「仙台版チームオレンジには認知症パートナーや認知症サポーターも数多く参加し、認知症の人や家族とともに地域で活動しています。
認知症の人の生き生きとした姿を通して、『認知症になっても何もできなくなるわけではない』という認識を地域全体に広げたり、認知症の人や家族とともに、地域で支え合いながら笑顔で生きることができる共生社会づくりが、仙台版チームオレンジの目的です。こうした活動が『自分も活動に参加してみよう』と一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。」(板橋さん)
認知症になっても人生は続く。学生ボランティアが映し出した「生き生きと輝く」当事者たちの姿
「認知症の人が尊厳を保持しつつ希望を持って暮らす」ことが法律に基づく国家の責務となった「認知症基本法」が施行された2024年には、その概念を広く啓発するために、認知症ととも笑顔で生きる当事者たちの姿を収めた動画を制作。
「若い人たちにも見てもらいたい」という思いから、出演や撮影、編集には東北福祉大学と東北工業大学の学生ボランティアの協力を得た。
動画はYouTubeで配信しているほか、市内各所に設置されているモニターにも掲載。認知症の人が社会で活躍する姿を広く市民に伝えている。
「当事者の生き生きとした姿が、古い認知症観を塗り替えるきっかけになると考えました。言葉で説明してもなかなか伝わりづらい『新しい認知症観』が、訴求力のある動画を通して押し付けになることなく自然と浸透していくことを目指しています」(鎌田さん)
動画には、ノルディックウォーク講師として活躍する認知症当事者の男性や、単独コンサートを開催した認知症当事者の方たちによる合唱団などが登場する。
そのハツラツとした姿に「認知症になったら何もできなくなる」という偏見を覆された人が多かったようで、「自分が認知症になっても、少し安心と思うようになった」、「認知症は「人生の再構築の時」と思えば未来が明るくなったような気がします」といった反響が届いている。
新しい認知症観を広げていくため認知症の人が活躍する場をテーマに作成した動画
「認知症とともに生きる-認知症の人が活躍する場編- ロングインタビュー版」
(せんだいTubeより)
効率よりも尊厳が守られる共生社会を目指して「スローショッピング」のトライアル
近年の仙台市では、当事者のさらなる社会参加をエンパワーメントする新事業が続々と始まっている。その1つが、認知症の人が安心して買い物ができる体制づくりの「スローショッピング」だ。
効率を最優先する現代社会において、レジでの支払いは認知症の方にとって高いハードルとなる。小銭がうまく出せない、うしろで待っている人の視線が気になる──。そのプレッシャーから、「買い物」という当たり前の社会参加を諦める当事者は多い。
「トラブルを避けるために、ご家族の判断でお財布を持たされていない当事者の方も少なくありません。しかし自分で欲しいものを選び、自分で支払うのは人としての尊厳そのものです。人権に基づいた取り組みを重視している本市としては、何らかの対応が必要だと考えました」(板橋さん)
2024年度にはモデル事業として、市内の商業施設で実施。付き添いのボランティアスタッフは伴走者として、「非効率でも本人の自己決定を尊重し、困っている時だけ手を差し伸べる」ことを徹底した。

学生と認知症の方が一緒に市内商業施設でショッピングをした
仙台市の「スローショッピングモデル事業」
モデル事業の手応えは大きく、当事者の「久しぶりの買い物がとても楽しかった」という感想だけでなく、ご家族からも「本人に買い物という役割を果たしてもらえてよかった。新しい一面がみれた」という声が上がったという。
これを踏まえて、2025年度には「スローレジ・ゆっくりレジ」の普及に向けた企業向けの研修会を実施。当事者や家族のほか、スローショッピングの考案者であるNPO法人やまぼうしネットワークの紺野敏昭さんや、すでにスローレジを導入している店舗という3者の視点から、「認知症の方にとっての買い物の意義」や「その際にバリアになっていること」などの講義を行った。
「ご参加いただいた仙台市内のスーパーやコンビニ6社19名からは、『意外と導入ハードルは高くないかもしれない』という感想や、『すぐにできることとして、店内表示を見やすく改善したい』という前向きな声がありました」(板橋さん)
一方、「今は難しいが、ゆっくりレジが当たり前の社会になったら導入したい」という反応もあり、「まずは研修会にご参加いただいていない店舗も含め今後も各企業の皆様と情報交換をし、ともに取り組める内容を検討し、スローショッピングを推進していくことでやがて市内の日常に浸透させていきたい」と板橋さんは展望を語る。
行政目線では気づけなかった「使い勝手」。本人参画で進化した“希望をかなえる”仕組み
自分が望んでいることやわかってほしいことを書いておき、必要な時にだけ見せる「希望をかなえるヘルプカード」も、認知症の方の社会参加を促す取り組みの1つだ。
仙台版「希望をかなえるヘルプカード」は、デザインから文言に至るまで当事者の意見が全面的に採用されており、ここにも「本人参画」のコンセプトが息づいている。
「当初、私たちからは『お願いしたいこと』に合わせて複数のデザインを提案していました。ところが当事者からは『デザインは1つでいい。それより自由に書き込めるように欄を大きくしてほしい』という意見があったことから、グッとシンプルなデザインになったという経緯があります」(鎌田さん)
何よりも重要な当事者にとっての使い勝手の良さに、
「行政目線では気づくことができませんでした」と鎌田さん。
昨今はスーパーから「支払いの際にカードを提示されたお客様がいたという報告や、地域包括支援センターからケガをして困っていた当事者の方の迅速な救助につながったという報告などがあり、今後もさらなる普及と活用の促進に努めていく。

仙台版「希望をかなえるヘルプカード」
当事者の方の尊厳とご家族のケアを両立。認知症を「家族単位」で捉えた支援のあり方とは
施策や事業の組み立てにあたって「本人参加」を徹底してきた仙台市だが、中には声を上げられない当事者もいる。2024年度にはそうした課題感から、「本人・家族・地域の方の声を聴くシート」を導入。
市の職員や地域包括支援センターおよび認知症高齢者グループホームの認知症地域支援推進員は、日頃から相談対応や、認知症カフェや本人ミーティングなど様々な機会で当事者の方やご家族から声を聴いている。何気ないひとことや些細なつぶやきも聞き漏らさずシートに書き留めるなど地道な取り組みを重ねてきた。
「小さい声ほどグサリと突き刺さる切実な内容が多く、それを文字に起こすことで『何のために認知症施策をやるのか』という根拠を強く意識するようになりました。本年度には1年間で集まった1,300の声を分析し、「認知症バリア解消に向けたワーキンググループ」を立ち上げています。もちろん当事者やご家族も参加しています。」(大宮さん)

「本人・家族・地域の方の声を聴くシート」にも象徴されているように、本人と家族の支援を両輪で捉えているのも、仙台市の認知症施策の特徴の1つだ。
2024年度には新たに「認知症の人と家族への一体的支援プログラム」がスタートした。家族を1つの単位とした支援を行うこの事業は、
「認知症と診断された瞬間に、それまでの夫婦や親子という関係から『介護する側』と『される側』へ分断されてしまうことが多々あります」(大宮さん)
という課題感から始まったもので、他の家族との出会いによる自然な学びを通して、家族の関係性の再構築や、良好な家族関係の維持をサポートしている。
「仙台市では認知症の人と家族の会 宮城県支部が、国のモデル事業として同様の取り組みを長らく行ってきました。担当者がおっしゃる『本人と家族の思いの糸が平行線のままで終わるのではなく、1枚の布のように織り交ざっていってほしい』という言葉が印象的で、私たちもその信念を受け継いでいきたいと思っています」(大宮さん)
診断直後の「空白」を埋める当事者同士の交流。仙台市が先駆けるピアサポートの力
他の家族との交流をプログラムに据えている「認知症の人と家族への一体的支援プログラム」をはじめ、仙台市ではピアサポート(当事者同士の支え合い)の概念を導入した取り組みが多い。
2015年には丹野さんらが中心となり、当事者が当事者を支える相談窓口「おれんじドア」が設立されている。今や全国的に広まった「おれんじドア」だが、その発祥の地は仙台市だ。
2025年度には新たに「生活の工夫講座モデル事業」を実施。同講座では主に診断されて間もない軽度の認知症の人やMCIの方を対象に、作業療法士などの専門職のほか、認知症の"先輩"とそのご家族が講師となり、生活の中で工夫していることや、認知症とともに生きる上での心構えを紹介している。
「丹野さんをはじめ、仙台市には活躍されている当事者がたくさんいますが、誰もが診断直後には『落ち込んだ』とおっしゃいます。そしてその葛藤を乗り越える大きな力となったのが、自分の少し前を歩く"先輩"の言葉や姿だったと言います。診断後から様々な社会資源につながるまでの空白の時間を短くするためにも、今後はさらに当事者同士の出会い場を充実させていく考えです」(鎌田さん)
認知症に「なっても大丈夫」と思えるまちづくりを目指して
仙台市は認知症カフェの取り組みも盛んで、2015年の初導入を皮切りに現在では100か所以上が継続的に活動している。その7割で当事者が参加しており、認知症の人の活躍や「誰かの役に立ちたい」という意欲を発揮する場にもなっている。
「当事者の方たちが地域活動の場にどんどん出ていくことで、地域に新しい認知症観が根付いていき、それが新たに認知症になった人の『自分もそうした場に出て行こう』というモチベーションにも繋がる──。こうした好循環をこれからも絶やすことなく回していきたいと考えています」(大宮さん)
認知症の"先輩"たちが自らの経験を次世代へと繋ぎ、あらゆる属性の人たちが立場を超えてフラットに交わり合う。そんな豊かな個性が響き合う日常を積み重ねることで、仙台市は誰もが自分らしく輝ける共生社会へと力強く歩みを進めている。




