46歳で若年性認知症と診断された写真家・下坂厚さんが見つけた“ディメンシアギフト”という希望

46歳という若さで、若年性アルツハイマー型認知症と診断された写真家・下坂厚さん。「人生が終わった」という絶望から、彼はいかにして「認知症は新しい人生の始まり」と語るまでになったのでしょうか。
写真家として下坂さんの視点が捉えた「一瞬」を「永遠の世界」に閉じ込めたその写真の数々は、SNSや写真展を通して多くの鑑賞者の心を掴んでいます。
その傍らで全国での認知症関連の講演やピアサポート事業に奔走する下坂さん。しかし、その輝かしい活動の裏側には、世の中に溢れる「きれいごとの希望」に対する鋭い違和感がありました。
記憶を補完するために始めた写真が、なぜ多くの人の心を打つ表現へと変わったのか。そして、認知症当事者が本当に求めている「寄り添い」とは何か。下坂さんの静かな、けれど情熱に満ちた言葉から、認知症と共に生きる豊かさのヒントを探ります。
40代、働き盛りの「早期絶望」。若年性認知症による退職と社会的な孤立

下坂さんは、46歳という若さでアルツハイマー型認知症と診断されました。当時の状況や、お気持ちを伺えますか?
京都の鮮魚店で、活気に満ちた日々を送っていた頃でした。
「注文を忘れる」「昨日までの当たり前ができない」といった異変が続き、検査の結果、若年性アルツハイマー型認知症だと。
診断された時は「人生、終わった」と目の前が真っ暗になり、それこそ「自分が命を絶てば、保険で住宅ローンが払えるかもしれない」と思い詰めたことさえあったほどです。

今の活動的な下坂さんからは想像もできないほどの、深い葛藤があったのですね。
実は診断を受ける少し前に仲間たちと鮮魚店を立ち上げたばかりだったのですが、「何もできなくなるなら、仕事でも迷惑をかけるだけだ」と考えてすぐに辞めたんです。自分で決めたことではあったけれど、収入の不安はもとより、社会に居場所がなくなった絶望は計り知れないものがありました。

認知症になったら「何もできなくなる」という強い思い込みが、下坂さんを追い詰めてしまったのでしょうか。
今なら「そんなことはない」と断言できますが、世間に蔓延するスティグマ(偏見)は本当に根深いです。私もそうでしたが、多くの方は認知症にマイナスのイメージしか持っていないはず。
特に働き盛りで発症する若年性は、発見が早い分「早期診断=早期絶望」と言われているんです。

早く見つかることが、かえって残酷な宣告になってしまうと。
そうなんです。早く発見されたということは、まだ症状も軽く、多少の違和感はあっても日常生活は問題なく送れている状態です。そんな時に「あなたはこれから何もできなくなります」と宣告されるようなものですから、未来が断たれたような絶望しか感じられませんよね。

その「何もできなくなる」という誤解が、診断を先延ばしにさせたり、当事者を社会から孤立させたりする大きな壁になっているのですね。
若年性認知症がもたらした贈り物「ディメンシアギフト」とは

「早期絶望」という言葉が出るほど辛い状況から、現在のような前向きな捉え方に変わったきっかけを教えてください。
転機となったのは、がん罹患経験者の方々が使う「キャンサーギフト」という言葉との出会いでした。以前、あるウェブ記事のインタビューを受けた際に、記者の方がご自身のがん経験を語ってくださって。そしてがん患者さんが不安や絶望を乗り越えた先に、「キャンサーギフト」というものを実感するということを教えてくださったんです。

「がんがもたらした贈り物」という意味合いですね。
がんという大きな病気を経験したからこそ得られた気づきや出会い、人生観や人間関係の深まりといったポジティブな側面を指す言葉なのだそうです。そのお話を聞きながら、自分が認知症になってから感じたり、経験したりしてきたことが言語化できたような気がしたんです。

かねてから下坂さんは「認知症になって良かったこともたくさんある」と発信されてきましたが、それこそが「認知症がもたらした贈り物」=「ディメンシアギフト」だったのだと。
もちろんその気づきに至るまでには時間がかかりました。認知症もやはり他の病気と同じように「早期診断」が付いたほうがその後の選択肢も変わってきます。
そのためにも認知症を必要以上に怖がらないでほしいですし、「認知症は喪失ではなく、新しい人生の始まり」ということを1人でも多くの人に知ってもらいたい。そんな思いを込めて、「ディメンシアギフト」という言葉を発信し続けています。
2026.1.12 Instagram 投稿 |
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成人の日を迎えた若者のみなさん おめでとうございます! 今日という日は 何かを決めきる日ではありません うまく生きる覚悟を固める日でもありません 人生は 思っているよりも長く そして 思っているよりも何度もやり直せます 間違えたと思った道から 引き返したことが ずっとあとになって 「あれが始まりだった」と思える日が来る 私は そんな経験を何度もしてきました だから大丈夫 そして 親御さんへ これからは 親も 子も #記憶とつなぐ |
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若年性認知症当事者として撮る写真。記憶の手段から唯一無二の表現へ?

下坂さんの「ディメンシアギフト」を具体的に教えていただきたいです。たくさんあるとは思いますが、ご自身のライフワークである写真はどうでしょう。「認知症になってよかった」と思うことはありますか?
写真は若い頃からずっと撮り続けてきましたが、認知症とともに生きるようになってから、写真を撮る意味が少し変わりました。具体的にはその日に行った場所や食べたもの、会った人など、認知症の症状の1つである短期記憶障害を補うために写真を撮ることも増えています。

写真を撮るという行為が、記憶の手段にもなったということですか?
自分としては「手段」であるのと同時に「表現」でもあると思っています。自分の目が捉えた一瞬を永遠の世界に閉じ込めるのが写真という表現ですが、私の場合はそれが記憶とつなぎ合わせていく手段にもなっています。そして、これこそが「自分にしか撮れない写真」なのかもしれないということに気付いたんです。

自分だけの表現に辿り着いた。アートを追い求める方にとっては、この上ない喜びだと思います。
写真展や著書などのタイトルに「記憶とつなぐ」と付けるようになったのも、自分の表現スタイルが確立できたことが大きかったですね。
2026. 1 .3 Instagram 投稿 |
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生まれて できるようになった 歩けるようになるのかな あなたがいつも じいじはいつも #記憶とつなぐ |
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写真もさることながら、そこに添えられる文もステキです。もともと文章は書かれていたのですか?
写真にキャプションを添えるようになったのも、認知症になってからのことです。FacebookやInstagramへの写真の投稿は以前からしていましたが、「写真を通して認知症当事者から見える景色を伝える」ことを意識するようになってから、文章があったほうがわかりやすいかな? と試行錯誤して現在のスタイルになりました。

そうだったんですね。とても詩的で、文章のセンスもおありなんだなと思いました。
ありがとうございます。認知症になってから、思考がシンプルになったというか、複雑な文を組み立てるのが苦手になったような気がするんです。その分文章も削って削って、本当に伝えたいこと、大事なことだけが残った結果、おっしゃっていただいたような「詩的な文章」になったのかもしれません。

被写体については、認知症になってからの変化はありますか?
以前から京都の町並みを撮るのが好きだったのですが、認知症になってからは風景そのものというよりも、そこに生きる人物にフォーカスするようになりましたね。家族が楽しそうにしていたり、高齢のご夫婦が手を繋いでいたり、何気ない日常の情景が、ああ、いいなと感じることが増えました。

その写真にどんな思いを載せているのでしょう。
自分にとって写真を撮るという行為は祈りでもあって、シャッターを押すたびに「この光景がいつまでもあり続けますように」という思いを込めています。もちろん、いつまでも続くものなどないことはわかっているけれど。

だからこそ「祈り」なのだと。
はい。私もいつか大切な家族のことすら忘れてしまう日が来るかもしれません。それでも写真に閉じ込めたかけがえのない日々は、永遠にあり続けることができる。写真という表現に惹かれるのも、そんな希望が持てるからなのかもしれません。
2025.3.6 Instagram投稿 |
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写真を撮るということは 祈りである #記憶とつなぐ |
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家族の介護における距離感──「心配」から「信頼」へ変わる接し方

2023年には創作や発表の拠点である「photo atelier&gallery 雫 」をオープンしました。下坂さんにとってここはどんな場所ですか?
写真の整理や編集などの作業もしますが、何より落ち着いて思考を巡らせる場所ができたことが良かったなと感じています。
作品が揃った時には、ここで展示を行うこともあります。写真を欲しいという声をいただくことも増えてきて、今後はポストカードなどプロダクト展開もしたいなと考えています。

そして現在は畑仕事もされているとか?
ギャラリーをオープンして少し経ったくらいの頃から、近所の農園をお借りしていろいろと育てています。最近は収穫もだいぶ増えて、季節によっては食べるのが追いつかないくらいです。

もともと畑仕事に興味があったのですか?
そうですね。畑仕事もそうですが、自然の織りなす造形美が好きと言いますか、被写体として惹かれるものがあります。
それと認知症になると時間の感覚が薄れていくところもあるんです。その点、トマトが色づいてきたなとか、キュウリが大きくなったなとか、畑で季節の移り変わりを感じられるのもいいですね。

畑仕事は奥様も一緒にされているのですか?
彼女は虫が苦手なので、畑には来ないんですよ。でも、それも含めて夫婦でそれぞれの時間があるのはいいことだなと思っています。ただでさえ認知症と診断されると、夫婦の間に「介護する側/される側」という線が引かれてしまいがちですから。
2025.6.28 Instagram投稿 |
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「介護」という言葉は 介=そばにいること ときに いっしょに倒れること なのに今、「介護」は 認知症の本人と家族を分けて語るたびに 「介護家族の権利宣言」が必要なのではなく これは反対ではない #記憶とつなぐ |
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奥さまは下坂さんが認知症と診断される前から、介護職に就いていたそうですね。
そうなんです。ですので認知症の知識も少なからずあったのですが、それでも私が46歳で診断されたことについてはショックが大きかったようです。
他の家族を見ていても思うのですが、当事者よりも家族のほうが受け入れるのに時間がかかるケースは多いですね。

なぜなのでしょう。
自分の感覚として「何ができて、何が難しいのか」がわからない分、気を回し過ぎてしまうのかもしれません。うちの奥さんも当初は私が1人で外出するたびに、「今どこ?」「1人で帰れる?」といったLINEをしょっちゅう送ってきていました。

そうだったのですね。
その気持ちがとてもありがたかったり、申し訳なかったり──。
それと正直言うと、少々「窮屈だな」とも思っていました。やはり自分でできることは自分でしたいですし、行動の自由もほしいですしね。

そうおっしゃる当事者の方は多いです。
それである時、「手助けしてほしい時はこちらから言うので、それまではできるだけ手を出さないでほしい」とお願いしたところ、奥さんも気付いてくれたみたいで。それからはいい具合に放っておいてくれるようになりました。

その辺りの葛藤や互いを思いやる気持ちは、ご夫婦の共著『記憶とつなぐ~若年性認知症と向き合う私たちのこと』にも詳しく綴られていました。
「記憶とつなぐ 若年性認知症と向き合う私たちのこと」
著者:下坂厚, 下坂佳子 出版社:双葉社
奥さんも心配ではあるんでしょうけど、あえて口には出さないというか、いい距離感でいてくれるのがありがたいですね。

下坂さんは講演などで全国を飛び回っていますが、スケジュール管理などはご自身でされているのですか?
はい。それこそ奥さんが同行してしてくれたら楽かもしれませんが、地図アプリがあれば迷うこともないですしね。切符や宿泊の手配などもスマホでできますし、多少時間がかかっても工夫しながらできる限り自分でやりたいと思っています。
認知症当事者のニーズは人それぞれ。「希望の押し付け」への問いかけ

現在はどのくらいのペースで講演活動をされていますか。
月によってばらつきはありますが、9月の世界アルツハイマー月間からしばらくは月の半分くらいは講演で埋まります。カレンダーに予定が入っていると、それに向けて頑張ろうという気持ちになれますし、基本的にはスケジュールさえ合えばどこへでも伺いますというスタンスでいます。

そうした活動を通じて出会った全国の仲間も「ディメンシアギフト」かもしれないですね。
まさにそうです。認知症になる前までの私はそれほど人と積極的に交流するほうではなかったですし、それこそ大勢の人の前でスピーチするなんて、昔の自分には想像もできなかったことです。

啓発活動の他にも、認知症当事者によるピアサポート事業にも積極的に携わっています。当事者の方との関わりにおいて、心がけていることはありますか?
最も大事にしているのは「希望を押し付けない」ことです。認知症にまつわる事業には、希望という言葉が入っているものが多いですよね。

たしかにそうですね。
認知症と診断されて不安や恐怖でいっぱいの時に「希望を持ちましょう」と言われたら、「夢や希望を持てない自分はダメなんだろうか」と追い詰められてしまうと思うんです。私も診断された後に送られてきたパンフレットに書かれてていた「希望」という文字に、むしろ絶望的な気持ちになったのを覚えています。

キラキラした言葉ほど人を傷つけるものですね。
それよりも私は、不安や恐怖の真っ只中にいる状態を「当たり前のこと」として肯定したいんです。その上で「あなたは1人じゃない」「認知症と伴走してくれる仲間は必ずいるよ」ということに気付いてもらえたら、ということをピアサポートでは心がけています。

無闇に「希望」という言葉を使いがちという指摘は、たしかにそうだなと思いました。当事者として、他に気になっていることはありますか?
昨今は認知症関連の施策を「本人参画」や「当事者発信」で決めるのがトレンドみたいになっていますが、そこに出てくる「本人」はいつも同じような顔ぶれです。もしかしたら私もその1人かもしれません。
しかし、当事者のニーズは人それぞれ実に多様です。それなのに声が届けられない当事者がいるのは、あまりに不平等なのではないか? と思うんです。

「著名な当事者」の声が制度を充実させてきた側面もあるとは思いますが、たしかにそれだけで十分ではないのかもしれません。
活動をすればするほどモヤモヤすることも多くて。でもその状況を少しでも改善するのが自分に与えられた役割なのかなという気もしていて、社会の役に立っている充実を感じているのも事実です。

それも含めて、認知症は下坂さんにとって「新しい人生の始まり」だったのですね。
はい。それは確信をもって断言できます。認知症にまつわる偏見をなくすためには「認知症になって良かったこともある」ことを社会にもっと知ってもらう必要があると思います。
とは言っても、普段の会話でもこうしたインタビューでも「認知症になって良かったことはなんですか?」と質問されることはほとんどないんですよ。

そうですね。やはりなかなか聞きづらいです。
だからこそ私のほうからどんどん発信していかなければと思うんですね。写真や啓発活動など、手段はいろいろあると思っています。そうした思いこそが誰かから押し付けられたわけではない、私が自ら行き着いた「希望」なんです。
2025.12.31 Instagram投稿 |
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一年が静かに暮れていきます 写真家として 忘れていくこと 写真を通して どうぞ皆さまも #記憶とつなぐ |
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認知症という診断は、決して人生の「終わり」を意味するものではありません。下坂さんが見せてくれたのは、たとえ記憶がこぼれ落ちていったとしても、その瞬間を愛しみ、誰かと繋がり続けることで生まれる新しい人生の形です。
「不安なままでいい、あなたは一人ではない」。
その静かなエールは、今、暗闇の中にいる誰かにとっての、確かな光となるはずです。下坂さんがシャッターを切るその一瞬一瞬が、これからも多くの人の心に、優しい「ギフト」を届けてくれることでしょう。
この記事の補足情報
著者情報
- PROFILE/ プロフィール

下坂 厚
写真家 ■Profile 1973年、京都府出身。2019年に46歳で若年性アルツハイマー型認知症を発症。それを機に仲間と開業した鮮魚店を退社し、介護施設にケアワーカーや広報として勤務する。現在は介護施設を退社し、認知症の啓発活動に全国を飛び回るほか、ピアサポート事業にも参画。またフリーの写真家として、京都・西陣にある「photo atelier&gallery 雫 」を拠点に活動。認知症当事者の視点から見える日常を撮影し、2022年3月に京都市京セラ美術館、2025年に京都国際写真祭など写真展ほか、SNSで精力的に作品を発表している。 https://www.instagram.com/atsushi_shimosaka/
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