お話を伺った方
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南足柄市 福祉健康部 高齢介護課 地域包括支援班(保健師)
古久保 明美さん
南足柄市の認知症事業全般を担当。現在の部署には4年前に異動してきており、コロナ禍の中で認知症カフェの立ち上げ、運営などにも携わってきました。2人の祖母が認知症を患った経験から、認知症の理解促進への思いを持って業務に取り組んでいます。
神奈川県の西端に位置する南足柄市は、昔話でおなじみの「金太郎」ゆかりの地として知られる歴史と文化の街です。市域の7割が森林で占められ、金時山などの山々に囲まれた豊かな自然環境は多彩な農産物を育むとともに、工業の発展にも寄与してきました。
高齢化率33.97%と全国平均よりやや高い傾向にある南足柄市では、「年齢を重ねてもこの街で暮らし続けたい」という意思を持った有志による独自の取り組み「認知症地域支援アクションミーティング」が展開されています。
認知症の人を一方的に「支える」のではなく、「共に生きる存在」として捉え、当事者の意向に沿った支援のあり方を模索し続ける南足柄市役所 高齢介護課の保健師・古久保明美さんにお話を聞きました。
『年齢を重ねてもこの街で暮らし続けたい』ー南足柄市の認知症事業の始まり
まずは、南足柄市の地域特性について教えていただけますか。
古久保さん:
南足柄市は市域の7割が水源林を中心とした森林で占められた、全国有数の水資源に恵まれた街です。そうした自然豊かな環境に加えて、都心へのアクセスの良さも特徴の1つです。令和6年度の高齢化率は33.97%と、全国平均よりもやや高い傾向にあります。
認知症への取り組みはいつから、どのような背景で始まったのでしょうか。
古久保さん:
平成21年度(2009年)の「認知症サポーター養成講座」から、南足柄市の認知症関連事業がスタートしています。当時の高齢化率は25%未満でしたが、将来推計人口からも確実に高齢人口が増加傾向にあったことが取り組みを始めるきっかけとなりました。
平成22年度には神奈川県の「認知症を支える地域モデル事業」に参加し、その翌年の平成23年度に立ち上がった「認知症地域支援アクションミーティング」が、現在も南足柄市の認知症事業の柱となっています。
「認知症地域支援アクションミーティング」の成り立ちを教えてください。
古久保さん:
南足柄市で長年にわたって地域医療に取り組んでこられた医師や社会福祉協議会、グループホームなどから有志のような形で集まった13人で、「自分が認知症になった時、どんなものがこの街にあったら安心して暮していけるか?」を話し合う会が発足したのがそもそもの始まりでした。
最初の3年はひたすらグループワークで試行錯誤を重ねていましたが、そこから徐々に具体的なアクションが起こり始めるとともにメンバーも増え、現在は50~60人が携わっています。特に募集をかけるわけではないのですが、「こんな活動をしてるんだけど、来てみない?」といったメンバーの声がけで参加する方がほとんどです。
「自分が認知症になった時」という発想からも、当事者意識を持って話し合いが行われたことが伺えます。
古久保さん:
そうですね。また「年齢を重ねてもこの街に住み続けたい」「だからこそこの街をもっと良くしたい」という意欲をお持ちの方が多いと感じます。メンバーはケアマネジャーさんや薬剤師さん、民生委員さんといった認知症を支えるプロフェッショナルのほかにも、富士フイルムをはじめとする民間企業の方々やボランティアさんなど、多彩な顔ぶれが揃っています。
畑仕事から生まれる『活躍と自己肯定』
「みんなで耕す金ちゃん農園」は、どのような経緯で始まった活動なのですか?
古久保さん:
南足柄市には土地柄、畑仕事に親しむ方がたくさんいらっしゃいます。農家さんだけではなく、家庭菜園でも立派な畑をされている方は本当に多いんですね。
けれど認知症になって、これまで続けてきた畑仕事を諦めてしまう方がいます。そうした方々が気軽に参加できる農園があれば、外に出るきっかけにもなるし、いろんな人と交流もできるし、体も動かせるし、いいこと尽くしなのでは、という意見から始まったと聞いています。
とはいえ、すぐに畑が見つかるわけでもなく、活動がスタートした平成27年は地域包括支援センターの敷地内でプランターに苗を植えるくらいしかできませんでした。転機となったのは平成28年、認知症だったご主人を亡くされて以来、手入れをしていなかった畑を「お父さんが喜ぶから」とある市民の方が提供してくださったことです。そこから現在に至るまで、その畑をお借りする形で「金ちゃん農園」の活動を行なっています。
農園での活動の様子(じゃがいもの芽かきと追肥)
農園はどのようなメンバーで運営されているのですか?
古久保さん:
中心となっているのが認知症地域支援推進員である包括のスタッフなのですが、実は誰も農業の経験がなかったんです。でも逆にそれが良かったと言いますか、畑の耕し方から雑草の処理の仕方など、自分たちではどうにもならなかったことを、農業に詳しい地域の方々が助けてくださって、結果として「金ちゃん農園」の輪も広がっていきました。
また農園に参加してくださる認知症当事者の方にも畑仕事に詳しい方が多く、私がぎこちなくクワを振っていたりすると「こうだよ」と教えてくださったりします。種まきの時期や剪定をアドバイスしてくださる当事者の方もいます。
もともと金ちゃん農園は「認知症の人が社会参加できる場」を目的としてスタートしたのですが、それを超えて「活躍や自己肯定を実感できる場」にもなっているのではないかと感じています。
農園で収穫した野菜を利用して収穫祭も開催
認知症当事者の方々の農園での印象的な様子を教えていただけますか。
古久保さん:
いつも参加してくださる当事者の中に歩くのもやっとなくらい足元がおぼつかない方がいるのですが、農園に来ると駆け込むように畑に入って行かれるんです。
農作業も夢中になって前のめりでされるので、転ばないようスタッフが後ろから支えるのも大変なほどです(笑)。
本当に畑仕事がお好きなんだなと、見ていて思いますね。
また軽度の認知症の方がいるのですが、この方はいまいちデイサービスがフィットしなかったんです。そんな中で農園は毎回とても楽しみにされているとのことで、聞くとやはり認知症を患う前は家庭菜園が趣味だったそうです。
当事者にとって好きなこと(=畑仕事)を存分に堪能できる充実した時間になっているんですね。
古久保さん:
そうですね。特にこの2番目の当事者の事例は、私たちもとても考えさせられました。
デイサービスのレクリエーションなどもそうですが、介護サービスはどうしても画一的な内容になりがちで、当事者の意向はなかなか反映されません。ともすると2番目の当事者の方のように、渋々参加されている方もいらっしゃるのだろうなと想像します。
認知症の方を一方的に「支える」のではなく「共に生きる存在」として捉える上では、やはり介護サービスだけではない選択肢や、当事者の方が前向きに参加したくなる取り組みが必要だと感じます。
職員自身の意識変革から始まる『新しい認知症観』の実践
<「支える」から「共に生きる」へ>というのは、"新しい認知症観"に基づいた発想ですね。
古久保さん:
1年前に施行された認知症基本法は、現在の南足柄市の認知症事業のすべての指針となっています。市民の方々に"新しい認知症観"をお伝えし、認知症に対する偏見をなくす活動も今後さらに活性化していきたいと考えています。
ただ市民を啓蒙する以前に、私たち市の職員の側にもまだまだ古い考えが残っているのではないか? という振り返りをするタイミングに来ているようにも感じます。
こんなことがありました。「認知症サポーター養成講座」の講義に、認知症の方に対する基本的な対応として「後ろからいきなり声をかけてびっくりさせないようにしましょう」というレクチャーがあるのですが、それに対して1人の受講者の方から「それは認知症の人に限らず、相手を思いやる上で当たり前な行為なのでは?」とご意見をいただいたことががありました。
おそらくその受講者の方は、私の説明にどこか「認知症の人はこう」といった偏見のようなものを感じられたから、そうしたフィードバックをされたのだと思うんですね。たしかに自分の中に偏見がないかと問われたら、「全くない」とは言い切れないのも正直なところです。
認知症事業の担当になって4年経ちますが、もっと理解を深めなければならないと痛感した出来事でした。
これからの認知症支援への展望
南足柄市の認知症事業は、これからどのようにアップデートされていくイメージでいますか?
古久保さん:
現在、「第10期南足柄市高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」の策定準備を進めているのですが、そちらにはこれまで以上に当事者の意向を反映した内容を盛り込みたいと考えています。
昨年のアクションミーティングでは、「この活動に当事者の視点はどこまで反映されていたか」「支援者の視点や意見ではなかったか」といったことを話し合う場を設けました。また認知症の方の意向をもっと活動に反映させていくために、当事者や家族にミーティングに参加していただく機会も増えています。
また金ちゃん農園やほっとカフェ(認知症カフェ)に参加されている方の些細なひと言や、その言葉が発せられた背景、表情などをノートに残すようにしています。地道な取り組みではありますが、当事者の意向や心情をもっと深掘りするためにも続けていきたいですね。
最後に古久保さん自身、4年間を振り返って認知症事業への関わりにどのような思いをお持ちですか?
古久保さん:
私の母方の祖母は今年亡くなったのですが、脳血管性認知症と診断されてからの晩年の10年はとても穏やかな日々でした。もともと口が達者で、孫としては"怖いおばあちゃん"という印象があったのですが、認知症になって以降はほっこりニコニコしていることが多く、何かしてもらうと「ありがとう」「私は幸せ」と言うなど、人が変わったみたいに可愛いおばあちゃんになったんですね。
これには家族一同とても驚きました。というのも私の父方の祖母も脳血管性認知症だったのですが、周辺症状が激しく出るなど介護にとても苦労したからなんです。
あくまで個人的な経験ではありますが、同じ分類の認知症を患った2人の祖母の症状がこれだけ違ったのは周囲の人々、もっと言えば社会における認知症観の変化による影響が大きかったのではないかと思います。
父方の祖母の時代に比べて認知症に関する社会の理解は確実に広まっていますし、それ自体はとてもいいことなのですが、"新しい認知症観"はさらに新たな概念に推し進めてくれそうで、私ももっと勉強したいと思っています。
まとめ
ともすると認知症関連の活動が支援者側の視点に偏りがちな中、南足柄市のアクションミーティングの根底に「自分が認知症になった時どうありたいか」といった自己への問いかけがあることは重要な示唆を与えてくれました。
介護サービスが画一的になりがちな現状に対し、地域の特性や個人の趣味を活かした多様な選択肢を模索する姿勢は、これからの認知症支援のあり方を示すものだと思います。
また古久保さんの「自分にも偏見はなかったか」という誠実な内省の言葉も、とても印象的でした。職員自身が意識をアップデートしていくことで、地域全体の認知症に対する理解も深まっていく──。南足柄市に「新しい認知症観」が浸透していく、そのプロセスの一端が感じられるインタビューとなりました。