認知症の人が東京駅で発見されるケースが少なくない。乗り入れる路線が多く、地方から電車に乗ったまま、終点で保護されることが多いという。
東京駅がある千代田区は、通勤・通学の昼間人口が約90万人に達するのに対して、住民は約7万人。人口構造が他の自治体とは大きく異なり、認知症に関する施策も独特だ。
区民ではない「他者」が圧倒的に流入する千代田区における認知症対策のテーマは、他者と共存する「包摂性」にある。
今回、東京都千代田区の島田知子さん、鈴木裕子さん、菊池慎二さん(保健福祉部在宅支援課)に、認知症施策の取り組みについてお話を伺った。
地域包括ケア拠点「かがやきプラザ」の役割
千代田区は2015年11月、高齢者総合サポートセンター「かがやきプラザ」を旧千代田区役所跡地にオープンした。
「かがやきプラザ」に開設されている「相談センター」は、24時間365日体制で、高齢者や家族からの相談を受け付け、必要な支援やサービスに繋げる機能も持つ。
「東京駅でオロオロしている高齢の方がいます、といった相談を受けることもあります。地方から電車に乗って、いつの間にか終点の東京駅に着いていた、という認知症の方が東京駅で保護されるケースが多いです」と島田さん。
「かがやきプラザ相談センター」は千代田区民向けのサービス施設だが、こうしたイレギュラーなケースにも可能な限り対応している。その背景には、千代田区ならではの他者と共存してきた「包摂性」がある。
皇居を中心とし、行政・経済の中心地として機能する千代田区は、約7万人の区民に対して、昼間人口は90万人。わずかな住民と圧倒的な数の通勤・通学者が交差する環境において、千代田区の認知症施策は共存・共生を根幹に据えて構築されてきた。
「認知症関連の施策についてはなるべく区の垣根を取り払って推進したい考えです」と島田さんは語る。
実際、千代田区の認知症支援サービスには、区外からやってきて区内で働く人や学んでいる人が担い手として協力しているものも多い。
千代田区保健福祉部在宅支援課 地域包括ケア推進係長 島田知子さん
もう一つ、千代田区ならではの特徴がある。「区民の約9割が高層マンションなどの集合住宅」に住んでおり、さらに高齢者の7割以上が一人暮らし、あるいはシニアのみ世帯となっている点だ。
「千代田区の最大の課題は、機密性の高いマンションの住民を、いかに地域コミュニティに繋げるか」だと島田さんは語る。
この「地域コミュニティ」を形成する拠点として誕生したのが「かがやきプラザ」だった。
同施設内には、60歳以上の区民が無料で利用できる千代田区社会福祉協議会 高齢者活動センターがある。高齢者活動センターでは、健康や文化、美術など様々な魅力あるテーマの講座を提供する「かがやき大学」を開講している。
また、フラダンス、卓球、カラオケ、麻雀、囲碁など約60の同好会があり、高齢者の社会参加や仲間づくりを後押ししている。さらに、併設された九段坂病院などによる医療や健康サポートを受けられるため、利用者は安心して活動できる。

認知症の人やもの忘れでお悩みの方、その家族の日頃の想いを語り会う場。区内外から参加できる認知症本人ミーティング「実桜の会」
千代田区の認知症施策において、中心的な役割をになっているものとして、認知症本人ミーティング「実桜の会」がある。
「実桜の会」は、認知症と診断された本人やもの忘れでお悩みの方、その家族の方が、それぞれの席で日ごろの想いや悩みを自由に語り合う場であり、認知症の当事者と家族の意見を最も重要視する千代田区の象徴的な拠点として、2020年2月から定期的に開催してきた。
「実桜の会」の名前の由来は千代田区の花である「さくら」。「想いを話すことで実りを得てほしい」という願いから「実桜(みお)の会」と名付けられた。
認知症本人ミーティングは全国的に普及しつつあるが、「実桜の会」は区内外問わず参加できるのが特徴だ。若年性認知症の当事者がファシリテーターを務めることから、東京都内でも数少ない区内外の若年性認知症の人々の情報交換の場としても機能している。
実桜の会開催時の様子
さらに千代田区は「実桜の会」について「認知症当事者からさまざまな意見をもらい、必要なサービスや地域づくりを検討する場」としても位置付けている。
「そもそも『実桜の会』を立ち上げるにあたって実施してきたワーキンググループで、アドバイザーを務めてくださったのも認知症当事者の方でした。『実桜の会』では必ず当事者と家族のブースを別々に設けています。これはワーキンググループで上がった『当事者は当事者だけで、家族は家族だけで話したいこともある』という意見を反映させたものでした」(鈴木さん)
地域包括ケア推進係 鈴木裕子さん
「実桜の会」のスタートから5年。この間、千代田区では参加者たちに認知症の啓発講座への登壇や、新聞社の取材対応など、認知症の本人発信や社会活躍の機会を数多く提供してきた。
千代田区の認知症に関する取り組みの広報としても機能しており、千代田区と「実桜の会」の参加者の間には、「支援する側/支援される側」の一方通行には止まらないWin-Winの関係性が築かれている。
不安を解消し、前向きな気持ちへ。当事者参加で作成された「認知症ケアパス」と別冊
2021年度より区内に配布している「千代田区認知症ガイドブック」(認知症ケアパス)の作成にも、「実桜の会」に参加している認知症当事者たちの協力はなくてはならないものだった。
「認知症ケアパス」とは、認知症の状態にあわせて利用できる自治体の支援情報をまとめた冊子のことだが、
「従来の認知症ケアパスは、当事者に不安を募らせる内容も含んでいたかもしれない」と島田さんは振り返る。
「認知症ケアパスの本来の役割は、将来にわたって切れ目なく、適切な支援に繋がる道しるべとなり、本人や家族の不安を取り除くことだという原点に立ち返るきっかけになりました。冊子のリニューアルにあたって、認知症当事者のみなさんのご意見をもとに、ページをめくりやすい構成、見やすさ・わかりやすさはもちろん、何よりも明るく前向きな気持ちになれるような表現を心がけました」(島田さん)
さらに千代田区では、認知症ケアパスの別冊として「いまのわたしで生きていく」を併せて作成した。こちらには認知症になった「今」を受け止め、自分らしく生きる当事者たちの声がまとめられ、「実桜の会」参加者たちの笑顔もふんだんに掲載されている。
認知症ケアパス別冊「いまのわたしで生きていく」
柔らかな水彩画の表紙もオシャレな別冊は、増版を重ねるほどの好評ぶりで、当事者や家族から「知り合いにも配りたい」と複数冊を求められることもあるという。
別冊の意図は認知症の理解促進ではあるが、「認知症ケアパスの作成に協力していただいた方々に感謝を表したいという思いもあります。喜んでいただけたことが何よりうれしいです」と島田さんは微笑む。
デニーズジャパンとの連携「認知症になっても外食できる社会」へ
千代田区には、日本を代表する企業が数多く本社を構えている点も、他の自治体とは異なる特徴だ。ファミリーレストランを展開する「株式会社デニーズジャパン」もその1つで、「実桜の会」の開催にも深く関わっている。
デニーズジャパンは2017年から「認知症サポーター養成」に力を入れており、2019年には、ほぼ全店舗に認知症サポーターの配属を達成するなど、日本企業の中でも認知症施策について先進的な企業だ。
千代田区は「認知症本人ミーティング」の会場として、区の施設とは異なるリラックスした空間を模索しており、デニーズジャパンに白羽の矢を立てた。
「認知症になっても、これまでと変わらず外食ができる社会になってほしいという思いから、認知症に対する理解の深いデニーズジャパンさんに、認知症本人ミーティングの会場提供を依頼したところ、快諾してくださった経緯があります。
千代田区は大人数を収容できる飲食店が少ない上に、貸し切りなどの条件もあって会場確保がなかなか難しいだけに、『地域貢献が企業価値を高める』という理念をお持ちのデニーズジャパンさんの存在はとても心強いです」と島田さんは語る。
そして、デニーズを会場とした「認知症本人ミーティング」を開催し続けていると、やがて区外の認知症当事者から「自分たちの区のデニーズでもぜひ開催してほしい」という要望が上がるようになった。
区外から「実桜の会」に参加していた当事者の声がきっかけで、包摂力のある千代田区ならではの出来事だった。
デニーズジャパンも「自治体との連携により地域社会への貢献が果たせる」との手応えから、社を挙げて積極的に推進。デニーズを会場とした認知症本人ミーティングの取り組みは22自治体・団体、30店舗(2026年1月現在)へと広がっており、「令和7年度 企業・職域団体における認知症サポーターキャラバン取り組み事例」の最優秀賞を受賞している。
デニーズジャパンでも「実桜の会」開催の様子を発信
「ゆるやかな見守り」を区全体に張り巡らせる「認知症サポート企業・大学認証制度」
「実桜の会」は、区内の喫茶店「カフェのん散歩」でも定期開催されている。
「カフェのん散歩」は、もともと認知症カフェなどでボランティアをしていた女性が、認知症になった母親の生きがいを創出するために自宅を改装してオープンした。「実桜の会」開催日以外もコーヒーや軽食を提供する地域密着の喫茶店として親しまれており、「認知症のおばあちゃんが元気に働く店」として新聞などにも取り上げられている。
「デニーズさんやのん散歩さんのお力添えを通して、認知症の人が住み慣れた地域で安心して暮らせる社会を実現するためには、民間の力が欠かせないことを改めて実感しました。この取り組みをさらに区全体に広げていきたいという思いからスタートしたのが『認知症サポート企業・大学認証制度』です」と島田さんは説明する。
認知症サポート企業・大学認証制度専用ステッカー
この認知症サポート企業・大学認証制度は、認知症の理解を深め、地域貢献活動として認知症の普及啓発や介護予防・認知症予防に資する取組等を実施する企業や大学を「千代田区認知症サポート企業・大学」として認証し、広報や区の事業などで広くPRすることで、「認知症を含むすべての人が自分らしく暮らせるまち千代田」の実現を目指すもので、以下の4つを認証の条件としている。
① 企業等においては、認知症サポーター養成講座を受講した者が区内の事業所に勤務していること。
② 大学等においては、認知症サポーター養成講座を受講した者が区内の当該大学等に勤務又は通学していること。
③ 認知症の人を支える具体的な取組を実施していること。
④ 暴力団又は暴力団員と社会的に非難されるべき関係を有していると認められないこと。
また、認証団体の責務として、千代田区認知症サポート企業・大学は、認知症の人が地域で安全・安心に過ごせるよう、日常の業務の中でゆるやかな見守りを実施し、異変を察知した場合には、速やかに区に連絡するよう努めることとしている。
注目したいのが、認証団体の責務としている「日常の業務の中でゆるやかな見守りを実施」という文言だ。前述のように千代田区には日中、数多くの通勤・通学者が流入するため、区外の人々にもプレッシャーなく認知症の人の見守りに関わってもらうための工夫が、この「ゆるやかな」という表現になっている。
「認定している企業・大学には多様な人たちが在学・在勤していますので、そのすべてに認知症に対する厳格な知識を求めるのは現実的ではありません。それよりも『ゆるやかな』と参加ハードルを下げることで、見守りの目線が区全体に行き渡ることを狙いとしました」と島田さんはいう。
認知症サポート大学の1つである共立女子大学・共立女子短期大学(千代田区一ツ橋)では、学生ボランティアによる認知症カフェでの交流や、図書館で千代田区認知症ガイドブック設置に加え、大学・短期大学の各授業や、学外者も受講可能な公開講座および共立アカデミーなどを通じ、学内外における認知症への理解と関心の向上に取り組んでいる。
また認知症サポート企業には福祉ネイルサロンや薬局、鍼灸マッサージ院などのほか、今年は新たに区内21カ所の郵便局が認証された。高齢者の利用が多い郵便局は「ゆるやかな見守り」の拠点として期待されている。
認知機能が下がってきた人への対応は金融機関が向き合うべき課題となっており、千代田区の在宅支援課では区内の銀行に対して高齢者関連の講座なども提供している。
認知症の進行を緩やかに。予防を阻む「マンションの壁」への粘り強いアプローチ
千代田区の認知症基本計画は「共生」に加えて「予防」についても重要視している。
千代田区が掲げる予防とは「認知症にならない」ではなく、正しい知識と理解に基づいた取り組みを通して、「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を緩やかにする」ことを趣旨とする。
そのためには適切な医療ケアもさることながら、認知症の人の社会参加や自己実現、生きがいの創出などが欠かせない。
そこで課題になっているのが「マンションの壁」問題だ。
前述の通り、千代田区には一人暮らし、高齢者のみ世帯が7割を超えており、その多くが「オートロックのマンション住まい」だ。
「認知症になると家に閉じこもりがちになる傾向はありますが、高層マンションでは住民同士の交流が生まれにくく、外部環境と遮断されやすい都市部ならではの構造が、孤立をより深める原因になりやすい」と島田さんは懸念する。
千代田区では介護認定を受けていない65歳以上の高齢者を対象に、2年に一度、心身の健康状態を確認する郵送調査「こころとからだのすこやかチェック」を実施し、回答者に健康状態判定と助言・区の介護予防事業案内を送付している。又、未回答者や、回答によって認知機能の低下が疑われる人に対しては、訪問看護師による訪問調査や定期的な見守り支援を実施しており、さらにかかりつけ医、認知症サポート医、かかりつけ薬局などと連携を取りながら、早期発見・早期対応に努めている。
とはいえ訪問しても応対しない人もいる。
「本当に必要としている人ほど、支援は届きにくいのかもしれない」と島田さんはもどかしい思いを吐露する。
それでも「できることはなんでもやろう」と、「かがやきプラザ」相談センターの職員が、マンション1軒1軒に足を運び、管理員やコンシェルジュに「ゆるやかな見守り」の要請と、窓口の周知に注力してきた。近年はマンション経由の相談も増えているとのことで、取りこぼさない支援の成果は着実に出ている。
「認知症になっても不幸ではない」千代田区が目指す共生社会
改めて、千代田区の認知症施策の強みは何か。それは「幾重にも折り重なった関係機関の連携」と「本人発信」が相互的に作用し合っていることだと島田さん、鈴木さんは口を揃える。
認知症支援の関係機関(区、認知症地域支援推進員、相談機関、医療機関、社会福祉協議会、認知症グループホーム、東京都健康長寿医療センターなど)で構成される「認知症ケア推進チーム」では、月1回の定例会を継続実施しているほか、「実桜の会」にも推進チームのコアメンバーが出席している。
「定例会の目的は情報共有や具体的な施策を検討することですが、そのベースとなるのが『本人発信』です。どれほど想像力を働かせても、当事者の実感に勝るものはありません。『実桜の会』の参加者のみなさんは、千代田区の認知症施策を推進するにあたってかけがえのない存在になっています」(鈴木さん)
2025年4月に入庁したばかりの新人職員・菊池さんも、積極的に「実桜の会」に関わってきた。在宅支援課に配属されるまで「認知症の人に出会ったことがなかった」という菊池さんの認知症観は、ある認知症当事者との交流をきっかけにドラスティックに変わったと明かす。
「かつて建築士をされていた当事者の方と長くお話しする機会があり、その知識の深さや、今なお学び続ける姿勢にとても感動したんです。もちろん現場に出る前には研修や講座は受けていましたが、それでもどこかに『認知症の人とコミュニケーションが取れるのだろうか』という不安があったのも事実です。座学だけではわからないことがたくさんあると実感するとともに、自分と世代の近い若年層にもっと理解促進を図っていきたいと決意を新たにした出来事でした」(菊池さん)
地域包括ケア推進係 菊池慎二さん
もちろん認知症の人も多様であり、前向きでいられる人ばかりではない。島田さんも「本人や家族の葛藤もたくさん目の当たりにしてきた」と、在宅支援課に配属されてからのこれまでを振り返る。
「認知症になったら何もできなくなるのではなく、認知症になっても自分らしく生ききることを目指す『新しい認知症観』が提唱されて間もない今は、過渡期なのかもしれません。認知症になっても自分らしく生きられることが真の意味で浸透すれば、悩み苦しむ人はもっと減るのではないでしょうか。私は『認知症になっても、不便であるが不幸ではない』という、日本認知症本人ワーキンググループ理事の佐藤雅彦さんの言葉を広めたいと思っています。またそのことを実感してもらうための施策を、千代田区ではこれからも行なっていきます」(島田さん)
極端な人口構造を逆手に取り、まち全体を巨大な「共生プラットフォーム」へと進化させてきた千代田区。
物理的な壁に閉ざされがちなマンションも、無数の人々が交差する東京駅も、認知症の当事者の発信に耳を傾け、官民の知恵を編み込むことで、温かくゆるやかな眼差しが通う場所に変貌しつつある。
日本の中枢都市として、誰一人、支援から取りこぼさない。そうした強くも温かい覚悟が千代田区の認知症施策には満ち溢れている。

