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わからないのではなく、わからないように見える。 - 田中香枝さん(社会福祉士)
更新日:2024/10/01

わからないのではなく、わからないように見える。 - 田中香枝さん(社会福祉士)

わからないのではなく、わからないように見える。 - 田中香枝さん(社会福祉士)

2020年9月 取材(神奈川県平塚市「SHIGETAハウス」)

お話を伺った方

社会福祉士・精神保健福祉士/田中 香枝 さん

社会福祉士。精神保健福祉士。2001年から曽我病院(神奈川県小田原市)で勤務。2017年から同院の若年性認知症支援コーディネーターとして活動している。「SHIGETAハウスプロジェクト」(神奈川県平塚市)協力スタッフ。

以前は精神疾患の人を支援することが多かったそうですが、
数年前から認知症の人の支援がメインとなり、何か違いを感じていますか。

認知症の難しい点は、進行性の疾患であることです。ご本人もご家族も、いまの状況に慣れたと思ったら症状が進んでしまい、また新たな状況に向き合わなければなりません。その繰り返しの中で長い経過を辿ります。現状維持ができないことと経過が長いこと。そこにご本人とご家族のたいへんさ、支援の難しさがあります。
長い経過の中でいずれ、「わからないわけではないけれど、わからなくなっているように見える時期」がどうしても訪れます。先が見えてしまうのもこの病気のつらさではないでしょうか。そういう意味では、自分の病状を客観視できる人のほうが精神的にきついかもしれませんね。先が見え、「ああ、ゆくゆくは私もあーなってしまうのだろう」と思ってしまいますから。

そうしたご本人の気持ちの持ち方や考え方が、変わるようにサポートするのも、私たちの「相談支援」の役割です。どの病気にもいえることですが、特に長い経過を辿る認知症では、病気と闘うのではなく、病気とどううまく付き合っていくかが重要になります。病気と共にどう生きていくか。生活していくか。病気を生活の中心に置くのではなく、記憶障害など何らかの障害はあるにしても、そればかりにとらわれず、ご家族や支援者の力を借りながら自分がやりたいこと、楽しめることをする。そこに私がどう関わっていけるかでしょうね。医師や看護師など様々な職種の人たちと協力し、介護保険サービスなども利用しながら、どう関わっていけるかということを考えながら活動しています。

「認知症の人はわからないわけではなく、わからなくなっているように見える」というお話がありましたが、それはどういうことなのでしょう。

認知症の中期以降の話ですが、認知症の人はこちらがかけた言葉を理解するのに時間がかかります。また、言われたことを覚えていられないこともあるため、それを頭の中に入れて、整理して考えるのが難しいこともあります。そうしたインプットの問題のため、話しかけても返答がないと、理解できていないと思ってしまう。でも、何も理解できていないわけではなく、相手の表情だったり、声のトーンだったり、ノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションの部分で感じているものがあると思います。相手の醸し出す雰囲気はわかっているのではないでしょうか。
アウトプットの問題もあります。言われたことは理解できるし、どう答えればよいのかもわかるけれど、それを言葉にしてきちんと相手に伝えることができない。言葉が出なかったり間違ったことを言ってしまったりする。そうすると「あ、わかってないなぁ」と判断されてしまいます。

ご本人が自分の考えを言葉にしないからといって、わかっていないと判断すべきではないと思います。「わかっている・わかっていない」「言葉が通じている・通じていない」ということを考えるのではなく、「わかっているだろう」「通じているだろう」という前提でご本人に話しかけたほうがいいのではないでしょうか。雰囲気も含め、伝わるものがあると思います。
認知症の人との会話に関して、あるご本人がこんなことを言っていました。自分がしゃべっている途中で家族が、かぶせて話をしてしまうと、「じゃあもういいよ」と言いたいことも言わなくなってしまうと。だからこちらが(本人の話が終わるまで)待てるかですね。たとえご本人の話に脈略がないように思えても、ご本人の理解の中ではつながっているのだろうと思って待つ、待てるかです。

「認知症の人はわからないわけではなく、わからなくなっているように見える」というお話がありましたが、それはどういうことなのでしょう。

認知症になると「何もわからなくなる」という決め付けに対して
ご本人たちはどのように感じているのでしょう。

わかる部分もあるのになあと思っているんでしょうね。ただ、そのわかるというのが、覚えていられることなのか、正しく判断できることなのか、外からは曖昧なことが、認知症の人の理解を難しくしているのかもしれません。そもそも「何もわからなくなる」の「何も」というのが曖昧ですよね。「何もって何?」って。曖昧だから、何かわからないことがあると、「あ、全部わからないんだ」となってしまうのかなと感じたりもします。

いま思ったのですが、ご本人にとっては自分が理解していること、記憶していることがすべてじゃないですか。覚えていないことは、ご本人の中ではなかったことなので、「僕は全部覚えている」と思っているのかもしれませんね……いえ、わからないです。すみません、ちょっとそう思ったので。
なぜそう思ったかというと、私たちにも「自分の知っていることがすべて」と思い込んでしまうところがあるのではないでしょう。私は「若年性認知症の人が社会に一定数いる」ということを、自分が実際に若年性認知症の人たちと関わることで初めて学んでいます。高齢者も含めて認知症の人が急増しているといわれますが、もしかしたら昔から多かったのかもしれません。家の中にいて、社会から隠されていただけで。
引きこもりもそうですが、私たちが知らないもの、私たちに見えないものは、ないものとして社会が回ってしまっているような気もします。

認知症になると「何もわからなくなる」という決め付けに対してご本人たちはどのように感じているのでしょう。

2017年に「若年性認知症支援コーディネーター」になりましたが、
活動の内容と、活動を通して感じたことを教えてください。

若年性認知症のご本人とご家族への個別相談支援が一番多いですね。あとは社会資源の調整──ご本人のニーズに合ったサービスの調整、実施機関・団体等との調整がメインで、地域の方々の啓発のための講演活動などもしています。
若年性認知症の人の支援に関わって実感しましたが、日本の現在の制度は、生産年齢人口(15~64歳)で病気になることをあまり考えていません。特に男性の場合、まだ本人の役割が多い生産年齢人口の時期に病気になり、仕事の継続が難しくなると、本人だけでなく家族の生活にも大きく影響してしまいます。働き続けることを前提に教育にかけるお金を想定し、住宅ローンを組んでいる人も多く、生活が破綻しかねません。
精神的な安定は、経済的な安定があってこそだと思うんです。障害年金や生命保険による制度を利用することで、ある程度は経済的な見通しが安定することをお話しすると、ご本人・ご家族は少し落ち着きます。でもそれで生活のすべてをカバーすることは難しいので、経済的支援制度の充実が必要だと感じています。
ご家族はよく、「何が不安だかわからないけれど不安」と話します。そうした状態はさらに不安を呼ぶので、早くから少しでも不安を軽減し、「大丈夫かもしれない」とひと息ついていただきたいですね。私はできれば診断直後から関わりたいと思っています。

もう一つ、ご本人やご家族を苦しめているのが「社会の目」です。高齢の人が認知症になると、社会は「もう歳だから仕方ないよね」という目で見ます。だけど若年性認知症の人の場合は、近所の人から「まだ若いのに仕事にも行かずに家でブラブラしている」という目で見られたり、「元気そうじゃない。どこか具合い悪いの」と言われたりします。そうした見方や言葉にご本人・ご家族は傷つくんです。認知症による障害のために働けない状況があるのに、そのたいへんさをわかってもらえない。病気と見てもらえない。
自分の身に降りかからない限り、どうしても他人事に思えてしまうのかもしれませんね。先ほどの話につながりますが、自分が知らないもの、見えないものは、自分の関心事にならないという側面があるんだと思います。

2017年に「若年性認知症支援コーディネーター」になりましたが、活動の内容と、活動を通して感じたことを教えてください。

「できれば診断直後から関わりたい」というのは、
早くから不安に寄り添い、心のケアを最優先するということですか。

寄り添うのもそうですが、病気のことを知ってもらうのも早ければ早いほどいいと思っています。人によって症状の出方は違いますが、認知症のこういう症状のために、こうした状況になっているということをご家族が理解すると、ご本人への声かけが変わるんです。「また忘れちゃって」とか「どうせ覚えていないんでしょう」といった否定的なことはあまり言わなくなります。そういう言葉をぶつけられると、「なんだよ!」と怒ってしまうご本人もいます。それを「認知症のために怒りっぽくなった」と判断するのは間違いかもしれず、だいたいは周囲が「怒らせている」わけです。そうしたこともご家族が理解してご本人に接すると、症状の出方はだいぶ変わってくるでしょう。実際、ご本人が怒ったり興奮したりするケースは以前に比べて減っていると思います。

10年前、20年前と比べてほかに変わったと感じることはありますか。

「本人視点」という意識は昔よりもはるかにありますね。昔は家族の意向、家族の生活を中心に置いて介護保険サービスの利用や入院を決めていました。いまはご本人がどうしたいのかという視点でデイサービスの利用などを検討しています。入院についても、状況に応じてですが、家族の刺激からいったん離れ、日々の興奮状態から解放され、静かな環境でゆっくり休むことを目的に、「楽になりますよ」とご本人に提案することが増えました。誰の視点に立つかという点はずいぶん変わったなあという印象があります。

あなたにとって
認知症とは何ですか?

あなたにとって認知症とは何ですか?

私が考えたことをご本人やご家族に伝えるのではなくて、ご本人やご家族の想いも話してもらい、共に考えていくことができればと思っています。いまそれを学んでいるところなので、私にとっての認知症とは……私にとっても「付き合っていくもの」かなあ。