脳の記憶を司る海馬の役割とは|萎縮の原因や鍛え方のヒントを解説

海馬は記憶を司る脳の重要な部位です。記憶を保持する働きがあり、認知機能とも深い関わりがあります。
「認知症には海馬の萎縮が関係している」という情報を見て不安に感じてる人もいるでしょう。
しかし、実際には「海馬の萎縮=認知症」というわけではありません。この記事では海馬の役割や萎縮の原因、認知症との関連について、認知症サポート医の越後谷直子先生がわかりやすく解説します。
海馬(hippocampus)とは|記憶を司る脳の小さな司令塔
海馬は、新しい記憶を作るために重要な役割を担っている器官です。脳全体から見ると決して大きな組織ではありませんが、日々入ってくる情報の整理や仕分けを行い、記憶の定着をサポートするといった私たちの生活に欠かせない機能を支えています。
こうした機能を担う海馬とはどのような器官なのか、その特徴を紹介します。
海馬という名前はギリシャ神話の海獣「ヒッポカンポス」が由来
脳の「海馬」という名前は、英語で「hippocampus(ヒッポカンポス)」と呼ばれています。
これは、海の生物であるタツノオトシゴの学名(海馬:hippocampus)と同じで、海馬の形がタツノオトシゴによく似ていることから、由来しています。
タツノオトシゴの「hippocampus(ヒッポカンポス)」という学名は、ギリシャ神話の海神ポセイドンが乗る車をひく海獣「ヒッポカンポス」から名付けられたとされています。
海馬はどこにある?|位置・形・大きさ

海馬は左右の側頭葉に1つずつ、耳の少し上から脳の奥へ向かった場所にあります。湾曲した細長い形をしており、大きさは小指程度です。脳全体で見ると小さな部位ですが、記憶に関わる重要な役割を担っています。
海馬の内部構造(CA1・CA3・歯状回)
海馬には、大きくわけてCA1・CA3・歯状回(しじょうかい)の3つの部位があり、それぞれが連携して情報と記憶の処理を行っています。
これらの部位が、取得した情報と記憶を結びつけることで、日常の様々な判断や情報の処理が円滑に行えるのです。
部位 | 働き | 具体例 |
|---|---|---|
歯状回 | 目や耳からの情報を受け取る | 前から誰かが歩いてきた |
CA3 | 受け取った情報を基に記憶を検索する | あれは友人の佐藤君かもしれない |
CA1 | 情報と記憶を照合する | あの特徴は佐藤君で間違いない |
海馬の部位と働き(文献2を参考に編集部作成)
さまざまな研究により、歯状回は大人になっても新たな神経細胞が作られる「神経新生」が行われる部位であることが示唆されています。
海馬の役割・記憶はどうやって作られるのか
海馬は記憶保持の役割があり、特にエピソード記憶に関係しています。海馬の役割を具体的に紹介します。
短期記憶から長期記憶へ|海馬が果たす「仕分け」の働き
海馬は、新しく得た情報をそのまま大脳皮質へ送るのではなく、長く残すべき記憶と忘れてもよい情報を整理する仕分け役として働いています。
日常生活では目や耳から多くの情報が入ってきますが、そのすべてを記憶していると脳の容量はすぐにいっぱいになってしまいます。
そのため、海馬では日常的な出来事や学習した内容などを感情や重要性などをもとに整理します。重要だと判断されたものが大脳皮質へ送られ、長期記憶として記憶されるのです。
海馬が特に深く関わる記憶の種類(エピソード記憶)
海馬が特に深く関わる記憶はエピソード記憶です。エピソード記憶とは自分が実際に体験したことに関する記憶であり、「昨日友人とランチをした」「昨年家族で旅行に行った」などいつ・どこで・何をしたか(何があったか)などの具体的な体験の記憶を指します。
認知症のなかでも、アルツハイマー型認知症では海馬の萎縮が見られます。海馬が萎縮するとエピソード記憶が障害されるため、昔の記憶は残っているのに最近の出来事を忘れやすいといった症状があらわれるのです。
海馬と他の脳部位(扁桃体・前頭前野)との連携
海馬は単独で記憶を作っているわけではなく、扁桃体や前頭前野などさまざまな脳の部位と連携しながら働いています。
扁桃体は感情の処理に関わる部位で、扁桃体が感情の情報を海馬へ伝え、記憶の定着を助けます。結婚式や子どもの誕生、事故など、強い喜びや恐怖などの感情を伴う出来事が長く記憶に残りやすいのは、扁桃体と海馬の連携によるものです。
また、前頭前野は必要な記憶を呼び出したり整理したりする役割を担っており、海馬と協力しながら思考や判断を支えています。
海馬が空間認知・場所の記憶にも関わる理由
エピソード記憶だけではなく、海馬には場所を記憶したり、場所のイメージを思い描いたりする働きもあります。海馬のなかでは「場所細胞」が作られ、空間を認知します。この働きにより周囲の景色や位置関係を記憶し、初めて訪れた場所で道順を覚えたり、自宅や職場まで迷わず移動できたりするのです。
認知症になると「自宅までの道が分からなくなる」など道に迷う症状が起こるのは、海馬の萎縮で空間認知や場所を記憶する能力が弱まるためです。
- 越後谷直子先生

海馬が記憶に重要な役割を持つことが示されたのは、1953年にヘンリー・モレゾンという男性に行われた、てんかん治療の手術でした。
手術で脳の「海馬」とその周辺組織を切り取った彼は、「数分前の出来事をすべて忘れてしまう(新しい記憶が作れない)」状態になりました。しかし不思議なことに、昔の記憶や知能、体で覚える技術は正常なままでした。
この衝撃的な症例により、海馬は記憶の保管庫ではなく、新しい思い出を脳に定着させる「司令塔」であることが世界で初めて証明されたのです。
海馬に生じる異常|萎縮の原因と影響
海馬はさまざまな要因によって萎縮します。萎縮の原因や影響を紹介します。
加齢による海馬の自然な変化(年1%程度の縮小)
海馬は加齢によって自然に萎縮します。健康な人であっても年1〜2%程度は縮小しており、自然な加齢現象の1つです。
「若い頃より記憶力が低下した」といった変化には、こうした加齢による脳の萎縮が影響しています。
そのため、「脳の萎縮=認知症」とは限らず、脳ドックを受けた際に「少し脳の萎縮がみられる」と言われた場合でも、加齢による自然な変化であることもあります。
慢性ストレス・うつ病が海馬に与える影響
慢性的なストレスやうつ病によって海馬が萎縮することもあります。
慢性的なストレスにさらされると、体内ではコルチゾールというストレスホルモンが分泌されます。コルチゾールの濃度が高まると海馬の神経を傷つけてしまうのです。
また、うつ病の状態では海馬の神経新生が抑制されます。これにより、海馬の萎縮や機能低下につながります。
アルツハイマー型認知症で海馬が最初に萎縮しやすい理由
アルツハイマー型認知症で海馬が萎縮するのは、アミロイドβ(ベータ)やタウという異常なタンパク質が蓄積するためです。
アミロイドβは正常な脳でも作られるものですが、過剰に作られ蓄積すると「老人斑」を作ります。タウは神経細胞のなかにできる異常タンパク質です。アミロイドβやタウが蓄積するとまず海馬の萎縮が始まり、脳全体の萎縮へとつながります。
海馬の萎縮が初めに起こるため、アルツハイマー型認知症の初期には「同じ話を何度もする」「最近の出来事を忘れる」といった記憶に関する症状が現れやすくなります。
生活習慣病(糖尿病・高血圧)と海馬への影響
糖尿病や高血圧などの生活習慣病によって海馬が影響を受け、認知症につながることもあります。
糖尿病になると血糖値を下げる働きのあるインスリンの働きが低下し、アミロイドβの蓄積が促進されます。これにより海馬の機能低下につながるのです。
また、高血圧では動脈硬化が進むとともに、血管と細胞間の水分や成分の移動が起こりやすくなります。その結果、アミロイドβが脳の中で移動して蓄積しやすくなり、認知症につながるのです。
- 越後谷直子先生

脳の萎縮と聞くとショックを受けるかもしれませんが、実は健康な脳であっても、加齢に伴って自然に萎縮していきます。
違いとしては、加齢によるものが「脳全体が少しずつ縮む」のに対し、病的なものは「特定の部位が顕著に縮む」ことです。こうした変化は通常の健康診断では判別できないため、もの忘れ外来や脳ドックなどで発見されるケースが多くなっています。
海馬の健康維持につながる生活習慣
病気やストレスで萎縮した海馬は元に戻せるのか疑問に思う人もいるでしょう。
萎縮した海馬を完全に戻すことは難しいですが、近年の研究では様々な取り組みによって成人後も新たな神経細胞がつくられ、海馬の機能の維持・回復が期待できる可能性が示されています。
ここでは脳の健康維持につながる生活習慣を具体的に紹介します。
①有酸素運動|週3〜5回・1回30〜40分のウォーキング

ウォーキングなどの有酸素運動を習慣にすると、海馬の体積の維持・増加に役立ちます。健康な高齢者を対象とした研究では、有酸素運動を行うグループとストレッチを行うグループで比較し、有酸素運動を行うグループのほうが海馬の体積が増加したという研究があります。
また、運動は海馬の神経新生に必要な脳由来神経栄養因子(BDNF)の増加にも効果的です。BDNFは主に海馬や大脳皮質でつくられるタンパク質で、脳の神経細胞の分化や成長を促す役割を担っています。適度な運動によってBDNFが増加すると、海馬の神経新生が促進されて記憶力の改善が期待できます。
少し息が上がる程度のウォーキングを週3〜5回程度行い、1回は30〜40分を目安にしましょう。厚生労働省が発表している「健康づくりのための身体活動・運動ガイド 2023」では、高齢者は毎日40分程度を目安に歩くことを推奨しています。
ただし、無理は禁物です。ご本人の体力や身体能力にあわせて、日常生活のなかで歩く時間を増やすことを意識しましょう。
②質の良い睡眠|記憶の定着は睡眠中に行われる

記憶の定着は睡眠中に行われるため、十分な睡眠時間を確保し、睡眠の質を高めることも重要です。必要な睡眠時間には個人差がありますが、6時間程度は確保しましょう。
睡眠の質を高めるには、就寝前の過ごし方を見直すことが大切です。たとえば、就寝前に明るい部屋で過ごしたりスマートフォンやタブレットなどを使用したりする習慣がある場合、光で体内時計が乱れ、寝付きの悪化を招きやすくなります。
就寝前は間接照明などで照明を暗くした部屋で過ごす、スマートフォンなどの使用を控えるなどの工夫をしましょう。また、入浴は就寝1~2時間前に済ませる、カフェインを含む飲料は夕方以降控えるなども効果的です。
③ストレスマネジメント|コルチゾールを溜めない暮らし方
日頃からストレスをため込まないよう適度に発散し、ストレスホルモンのコルチゾールを溜めないよう工夫しましょう。
ストレスを発散するには、深呼吸やストレッチ、趣味の時間を楽しむなどの方法があります。適度な運動による開放感が得られ、ストレス発散に効果的です。
また、家族や友人に気持ちを話すだけでも心の負担が軽くなることがあります。日常生活のなかで今日から無理なく始められる方法を実践してみましょう。
④食事|地中海食・DHA・抗酸化物質の摂取を意識する
毎日の食事を工夫することも、海馬の健康維持に欠かせません。特におすすめなのが、地中海食や、DHA・抗酸化物質を含む食品です。
地中海食は、肉類の摂取を抑え、魚や野菜、果物、ナッツ、オリーブオイルなどを豊富に摂ります。特に、オリーブオイルには不飽和脂肪酸が豊富に含まれており、認知症の発症を防ぐ効果が期待されています。
また、青魚に多く含まれるDHAやEPAは認知症予防に効果が期待できる成分です。野菜や果物に含まれるビタミン類やポリフェノールなどの抗酸化物質は、活性酸素による酸化ストレスから細胞を守る働きが期待できます。
ただし、特定の食品だけを多く食べたり、サプリメントだけに頼ったりするのではなく、さまざまな食品を組み合わせたバランスのよい食生活を続けることが大切です。
⑤知的活動と新しい挑戦|脳に刺激を与える行動

知的活動をしたり新しいことに挑戦したりして、海馬を刺激する機会をつくることも海馬の健康維持につながります。
たとえば、読書や新聞を読む、楽器の演奏、語学学習など、普段とは少し違う体験が海馬への刺激になります。難しいことに挑戦するのではなく、楽しみながら続けられることを始めてみましょう。
⑥人との交流|会話と笑いが海馬を刺激する
社会的孤立を防ぎ、海馬を刺激するために、人との交流を積極的に行うことも重要です。
多くの研究で、独居や他者との交流の減少などによって社会的孤立が進むと、認知症の発症リスクが高まる可能性があると示唆されています。
家族や友人との会話はもちろん、地域のコミュニティや趣味の集まり、ボランティア活動など、ご本人に合った形で人とのつながりを持つことが大切です。介護をしている方もご本人と一緒に参加することで、介護者自身の社会参加にもつながり、孤立化の解消や心身の負担を軽減につながります。
⑦禁煙・節酒と生活習慣病の管理
生活習慣病を防ぐために禁煙や節酒を行うことも、結果的に海馬の健康維持につながります。喫煙は血管を傷つけ、脳を含めた全身の血流を低下させる原因となります。また、過度な飲酒は高血圧や脳梗塞などの健康問題にもつながる要因のひとつです18。
そのため、禁煙や節酒を心がけて生活習慣病を防ぎましょう。定期的な健康診断を受け、身体の異常に早めに気づき、適切な治療が受けられる環境を整えることも重要です。これにより、全身の健康を保つとともに、脳の健康管理にもつながります。
- 越後谷直子先生

海馬は記憶を担う重要な組織です。残念ながら、何か特定のことをして劇的に改善できる、というものはないので、毎日の習慣を見直して少しずつ継続することが大切です。
ポイントはストレスを避け、脳に良い刺激を与えることです。新しく趣味を見つけたり、習い事を始めたり、ご自身の生活に合わせて取り組んでみましょう。
脳の健康維持チェックを始めよう!脳やもの忘れの不安は専門家に相談
加齢に伴い、もの忘れが気になることは誰にでもある変化です。しかし、日常生活に支障が出始めている場合や、家族から変化を指摘された場合は、病気が隠れている可能性もあります。
気になる症状があるときは、一人で判断せず、かかりつけ医や脳神経内科など専門家に相談しましょう。必要に応じてMRIや血液検査などを行う脳ドックや、MMSE(ミニメンタルステート検査)などの認知機能検査を受けることで、原因に応じた適切な治療や支援につながります。
また、認知症に関する悩みや介護の不安がある場合は、地域包括支援センターや認知症疾患医療センターなどの相談窓口を利用するのも選択肢のひとつです。テヲトルでは認知症に関する相談窓口や利用できるサービスについて紹介しています。早めに専門家へ相談するために、ぜひ活用してください。

認知症に関する悩みを相談できる場所は?お悩み別の相談先一覧
まとめ|海馬を知ることは、自分と家族の未来を守ること
海馬は記憶を司る重要な部位で、認知症にも大きく関わっています。
加齢によって自然に萎縮することがありますが、縮小しているからすぐ認知症になるとは限りません。海馬は加齢以外にも生活習慣の影響などを受けて萎縮します。
海馬の健康維持のためには、運動や睡眠、食事などの生活習慣を整えることが重要です。セルフケアを行いつつ、気になる症状があれば一人で抱え込まず専門家に相談しましょう。
この記事の補足情報
参考文献
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著者情報
- PROFILE/ プロフィール

越後谷 直子
緑園ストレスケアクリニック 院長 【専門領域】 精神科一般、心療内科一般、適応障害、うつ病、10代の不登校・引きこもり、認知症、更年期障害、訪問診療 【経歴】 平成14年 金沢医科大学医学部卒業 市立横手病院、沼津中央病院、南晴病院 南晴メンタルクリニック 院長 南横浜さくらクリニック 院長 他 メンタルクリニックや女性外来にて勤務 令和3年11月1日〜 緑園ストレスケアクリニック 院長就任 【所属学会・資格】 日本精神神経学会 日本認知症学会 認知症サポート医 ホームページ:https://www.ryokuen-stresscare-cl.com/doctor
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